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宇都宮地方裁判所 昭和54年(わ)373号 判決 1983年9月27日

主文

被告人は無罪。

理由

説明の便宜上、証拠の引用等については以下の略語及び用語例に従う。

○ 被告人、証人及び鑑定人の供述又は供述記載については、公判廷における供述と公判調書中の供述記載部分とを区別しない。

○ 書証については、原則として、昭和五一年一一月二〇日付最高裁刑二第二三三号刑事局長等依命通達「証拠等関係カードの記載要領について」において使用されている略語表の例によることとし、例えば、司法警察員に対する昭和五四年九月二七日付供述調書を「54・9・27員」というように表示する。

○ 証拠物の押収番号は、宇都宮地方裁判所昭和五四年押第一二七号の符号一ないし二九であるが、その表示は、符号のみをもってする。

○ 年月日のうち、とくに年を表示しないものは、昭和五四年を示す。

第一本件公訴事実、争点及び本件事案の概要

一  公訴事実

本件の公訴事実は、「被告人は、金員窃取の目的で、昭和五四年五月三〇日午後八時ころ、家人不在の鹿沼市《番地省略》D子(当時六二歳)方居宅に玄関から侵入し、タンス小引出しなどを物色するうち、同女が帰宅したので奥六畳間の押入れ内に隠れたが、同日午後一一時過ぎころ、同女に発見されるや、強取の目的をもって、同女に対し、「静かにしろ」と申し向け、同女の両手首を電気コタツ用コードで後手に緊縛し、さらに、同女の両足首を電気スタンド用コードで緊縛したが、その際、同女に「助けて」と大声を出されたことから同女を殺害しようと決意し、同女の頸部に、右電気コタツ用コードを巻きつけて、その両端を両手で絞めつけ、よって、そのころ、同所において、同女を絞頸による窒息死により殺害し、その際、同女所有の現金約三、八〇〇円在中の蟇口一個及び現金四五、〇〇〇円を強取したものである。」というのである。

二  争点

被告人は、右住居侵入・強盗殺人の公訴事実につき、第一回公判期日における冒頭手続の際、殺意の点は否認したもののその他の事実を認め、第二回公判期日も、同日行われた検察官請求の証拠の取調べ等に特段の発言等もなく経過したが、第三回公判期日における公判手続の更新にあたり、先の陳述を翻して犯行を全面的に否認し、以後一貫して否認し続けるに至った。

被告人の弁解は、要するに、被告人は本件犯行に及んでおらず、第三者による犯行の後に、偶然に本件現場に臨場することになったものにすぎず、検察官が主張する犯行時刻にはアリバイがある、というものである。

そして、弁護人は、被告人の右弁解を前提とし、被告人の捜査段階における自白は、その任意性に疑いがあるうえ、その内容において不合理、不自然な点が種々あって信用性に欠け、その他に被告人が犯人であると認めるに足りるだけの証拠はなく、かえって、被告人にはアリバイがある、というのである。

被告人の当公判廷における弁解の詳細については、後に検討するが、本件の特殊性は、被告人が本件犯行を否認しつつも、犯行現場等との結び付きを自ら一部認めている点である。このような被告人の弁解を、他の関係証拠により動かし難くなった事実についてまで否認してしまうとかえって弁解全体の信用性が疑わしくなるとの配慮から一定限度での結び付きを認めつつ、なお犯行そのものと自らとの繋りを回避するという、いわば苦し紛れの弁解のための弁解にすぎない、と決めつけてこれを排斥し、他方、被告人の自白を信用しきることができるか否かが本件における争点の中心であるということができよう。

三  本件犯行をめぐる基本的な事実関係、捜査の経緯

本件犯行をめぐる基本的な事実関係、本件捜査の経緯等につき、関係証拠によると次の事実が認められる(これらの事実は、訴訟上も格別争いがないものである。)。

1  本件の被害者D子(大正六年三月三一日生、被害当時満六二歳)は、本件の現場である同女所有の栃木県《番地省略》の居宅(セメント瓦葺き木造トタン板囲い平家建、東西九・二二メートル、南北五・六六メートル)に一人で居住していた(被害者宅の間取り、家具調度の位置等の概略は別紙図面のとおりである。以下その都度図面参照とは表示しない。)。同女は、昭和五四年五月二八日から同月三〇日までの間、所属する遺族会の主催で、身延山方面等に二泊三日の旅行に出かけ、右三〇日午後六時過ぎころ帰宅したが、同日午後七時ころ、自宅を出て近所の者数名に右旅行のみやげ物等を配ったりなどし、同日午後九時ころ、最後に訪れた友人山田まつ方を、帰宅する旨告げて出た。その後被害者は、同日午後九時七、八分ないし一〇分ころ、前記自宅付近路上で、近所の者川田祐二にその姿を目撃されている。

2  翌三一日午後七時ころ、同日の朝方より被害者の姿を見かけないことなどに不審を抱いて同女宅を訪れた山田節雄ら近所の者らが、同女の応答がないことから同女方に上がり、六畳間において、同女が倒れ、その上にふとん類が乱雑にかけられているという異常な状態を発見し、直ちに、鹿沼消防署に救急車の出動を要請した。そして、同消防署を通じて所轄の鹿沼警察署に通報された。

3  右要請により現場に出動した右消防署員等により、被害者が浴衣姿で仰向けに倒れ、両足首を電気スタンドのコードで緊縛され、両手を電気こたつ用のコードで後ろ手に緊縛され、右こたつ用のコードの端が頸部に巻きつけられており、同女がすでに死亡していることが確認された。被害者の死因は、絞頸による窒息死(即死)であって、被害者は、何者かによって前記電気こたつ用コードで首を絞められて殺害されたものである(なお、死亡推定時刻については後に触れる。)。

4  警察は、直ちに、鹿沼警察署に捜査本部を設置した。そして、五月三一日午後一〇時ころから翌六月一日午前一時二〇分まで被害者宅等の実況見分を行ない(これが以後随所で引用する6・10実である。前記発覚時の現場の状況をそのまま記録したものと認められる。)、六月一日午前九時二〇分から午後二時一五分まで同所の検証を行なった(これが6・12検調である。)。捜査本部は、当初、痴情、えん恨の線による殺人事件として捜査を開始したが、捜査の過程において、被害者の家族、前記遺族会の旅行に被害者と共に参加した者等から事情を聴取した結果、被害者は平生約五、六万円程度の現金を所持していたことが判明したにもかかわらず、被害者宅からこれが発見されなかったため、以後は強盗殺人事件として捜査を続行するに至った。捜査本部においては、被害者宅周辺の聞き込み、被害者の交友関係の調査、周辺の前科前歴者の洗い出し等の捜査を続けるうち、本件発生から約一週間後、被害者宅の近くに住むA子方に、その子である被告人が本件ころまで滞在していたのにもかかわらず、その後姿が見えない旨の聞き込みを得、被告人が被害者宅付近の地理に明るいこと、また、被害者宅では長押のところで電話線が切断されていることから犯人は電気工事に明るい者であると想定されるところ、被告人には電工の職歴があることなどから被告人に対して容疑を持ち、被告人の所在捜査等を進めた。そうするうちに、同年八月ころ、先に被害者宅庭先から発見された足跡痕と被告人が当時履いていたと思われるパンタロンシューズのそれとが類似している旨の検査結果が出たため、被告人を容疑者と断定し、同月中旬ころ、右A子から被告人についての家出人捜索願いの提出を受けるなどし、更にその所在の確認に努めていた。

5  同年九月二〇日、当時東京都内の日比谷公園内で野宿していた被告人は、同公園内で起こった傷害事件の参考人として、警視庁丸の内警察署において事情聴取を受けた。その際、同警察署より連絡を受けた鹿沼警察署員が、翌二一日、丸の内署に赴き、本件につき事情聴取をした結果、被告人が被害者殺害の事実、現金約三八〇〇円在中のがま口強取の事実等を自供するに至ったため、同日午後一時三〇分、同署において、被告人を強盗殺人事件の被疑者として緊急逮捕した。被告人は、同日、鹿沼警察署に引致され、翌二二日、宇都宮簡易裁判所裁判官発付の勾留状により同署に勾留されて取調べを受け、同年一〇月一一日、本件公訴を提起されるに至った。

第二物的証拠等

本件証拠上、被告人が本件の犯人であるか否かを判断する上において重要と思われる物的証拠ないしは客観的事実としては、被害者方の近くから発見されたがま口及び被害者宅の庭先から採取された足跡痕があげられ、被告人の自白を除く本件証拠中には、右の他に、被告人と本件犯行との結びつきを強く疑わせるほどの証拠はない。

そこで、まず、右の二点についての証拠価値等について検討する。

一  がま口

関係証拠によれば、被告人は前示のとおり緊急逮捕された九月二一日、取調官に対し、被害者を殺害後、現金三八〇〇円位在中のがま口一個を被害者宅から奪い、中から現金を抜き取った後、右がま口を「日吉団地のマーケット(被害者宅の東北方約三〇〇メートルの地点にあるエルマート日吉店の意)前のどぶ」に投棄した旨供述し、かつ、被告人自身で右投棄場所を記した図面(鹿沼警察署長あての上申書に添付されているもの)を作成したこと、鹿沼警察署では、被告人の右供述に基づいて、翌二二日、署員らが、被告人が投棄したとする場所付近の側溝等を捜索した結果、右の場所より数十メートル下流の鹿沼市日吉町六二六番地渡辺春吉方東側用水堀暗渠内からがま口一個を発見して領置したことが認められる。

ところで、右がま口が、被害者の生前所持していたものか否かについては、被害者にがま口を買ってやった娘E子、その他被害者が生前所持していたのを目撃している関係人らにおいて、断定的な表現か否かはともかく、一様にこれを肯定しているのであって、その各供述ないし証言内容と右がま口の形状とを彼此勘案すると、右押収にかかるがま口は、被害者が生前所持していたものであり、しかも、発見の端緒を考え併せると、被告人は、これを、被害者が殺害されたのと近接した時期・場所において手にしたか、あるいは少なくともその存在について認識していたものと認めることができる。

二  足跡痕

栃木県警察本部刑事部鑑識課員小田切光雄らは、本件発覚後間もなく現場に赴き、五月三一日午後八時ころから被害者方居宅内及びその付近一帯に存する足跡痕等の発見・収集に努めた結果、いくつかの足跡痕を発見し、そのうち、同居宅南側庭先において発見した三個について石こうの足型として採取した。右小田切は、捜査官の鑑定嘱託に基づき作成した鑑定書及び公判における証言中において、右三個の足跡痕は、いずれも被告人が二月末に購入し、本件当夜も使用し、引き続き九月二一日に緊急逮捕されるまで所持していたパンタロンシューズ(なお、右パンタロンシューズの使用及び所持の事実は、被告人の捜査、公判を通じての供述その他関係証拠により認められる。)の右靴底により印象されたものである旨結論付けている。

また、鑑定人藤原良造も、その作成にかかる鑑定書及び公判における証言中において、右領置にかかる足跡痕三個は、いずれも右パンタロンシューズと同型の右足用の靴底によって印象されたものであり、右パンタロンシューズそのものの右足用靴底によって印象されたとの確定は困難であるが、その疑いが強い旨結論付ける。

右小田切、藤原両名の結論付けは、右のとおり若干相違しており、また、それぞれの鑑定書、証言中には、にわかに首肯し難い根拠付け等も存しないわけではない(殊に、藤原作成の鑑定書中の、足跡痕間の推定される歩数なるものから歩幅を計算し、これが、パンタロンシューズをはいて歩行した場合の通常の歩幅と一致するとし、このことを結論付けの一根拠としている部分は、たやすく採用し難いものというべきである。)けれども、他方、これらの鑑定ないし証言の内容が、その基本的な点に問題があって全体として信用性が低いものとはとうていなし難く、結局、右三個の足跡痕は、被告人が本件当夜使用していたパンタロンシューズによって印象されたものであるとの疑いがきわめて強く、被告人は、少なくとも、被害者が殺害されたのと近接した時期において、被害者宅の庭先にまで入っていたものとの疑いがきわめて強い。

三  がま口及び足跡痕についての評価

本件において、右の二点が被告人の自白及び公判廷における弁解をできるだけ考慮外において指摘できる物的証拠、ないしはそれに基づく客観的事実ということができる。

右の事実は、被告人が本件の犯人であることを疑わしめるものといえる。しかしながら、これらの事実は、それ自体で被告人と本件犯行とを直接的かつ強力に結び付けるものとはにわかにいい難いところであり、少なくとも、右事実が、単純な住居侵入事犯等の認定ならばともかく、本件のような一連の住居侵入・強盗殺人事件の全体、殊に、その中心となるべき被害者殺害及び金品強取の事実の認定をほぼ決定づけるものとは、一概に断じ得ないといわなければならない。

そして、右の評価にあたっては、先に指摘した本件における争点の特殊性をも考慮せざるをえないのである。この点に関する被告人の当公判廷における弁解をみると、被告人は五月三一日未明、被害者宅において被害者が殺害されているのを目撃した少し後に、犯人とみられる男を追尾している際、捜査段階でがま口を投棄したと供述した場所あたりで、その男が捨てたそれらしきがま口を手にした後、付近の側溝内に蹴り込んだ旨供述し、足跡痕についても、やはり、三一日未明、被害者宅で被害者が殺害されているのを目撃した少し後に、犯人とみられる男が被害者宅から出てくるのを隠れて待つ間、被害者宅南側庭先に入った旨供述する。また、6・10実等関係証拠によると、被害者宅四畳半間の長押のところで電話線が切断されていることが認められるところ、この点についても、被告人は、被害者が殺害されているのを目撃して間もなく、右電話線をその場にあった包丁で切断したなど、と被害者宅内へ入っていること自体についてすら認めるのである。このような被告人の公判廷における供述は、おそらく、公判廷において関係証拠によって明らかとなった客観的事実については、それ自体を否定する弁解をするとかえって不利になるとの配慮から、現場等との結び付き自体は肯定しつつ、なお犯行そのものを否認するという、苦し紛れの弁解にすぎない、との評価につながり易いであろう。

しかしながら、そのような評価は、結局は本件全証拠の総合的な検討を経た後になすべきことであって、当裁判所としては、被告人の右のような弁解についても、やはり謙虚に耳を傾ける必要があるものと考えるのであり、本件の程度の物的証拠等の存在をもって、被告人の自白及び公判廷における弁解の各信用性、アリバイの成否等についての、より具体的な検討を不要若しくはこれに近いものとするほどに有罪認定を決定づけるもの、ないしはこれに準ずべきものとはなし難いと考える。

第三自白の信用性

一  被告人の捜査段階における自白の概略

被告人の捜査段階における自白につき、その変遷についての疑問点は後に指摘することとして、その最終的な形において概観すると、以下のとおりである。

被告人は、五月三〇日午後四時ころ、職を探すべく上京するため、それまで約三か月間過ごしてきた鹿沼市上日向の実母A子方を出て、東武線新鹿沼駅へバスで向かい、午後四時三〇分ころ同駅に着き、午後五時二〇分発の浅草行の電車を待つうち、同駅の売店で缶ビール等を買って飲み始めた。当時、所持金は二五〇〇円程であったが、右缶ビール代等に費消した結果、残金が七〇〇円余りになって、東京までの電車賃七六〇円に不足となったことなどから、午後六時三〇分ころ、実家へ戻って金を借りようと考え、同駅を出て、歩いて前記A子方へ向かったが、途中東武線のガード下で軍手片方を拾った。引き続きA子方へ向かって歩くうち、母A子が月末で金がないと言っていたことなどから、実家へ戻っても金を借りづらいと思い、被告人の中学校卒業時まで隣りに住み、現在でも近所に住んでいて妾をしていることから金を持っていると思われるD子宅へ盗みに入ろうと考え、被害者宅へ向かい、午後七時三〇分ころ、同居宅庭先に入って同居宅内の様子をうかがったところ、同女は不在であったが、なおあたりが明るかったので、暗くなるまで待つため庭先にしゃがんで待機していた。あたりが暗くなったので午後八時ころ同居宅玄関にまわり、前記の軍手を右手にはめて玄関のガラス戸を開けたところ、施錠されていなかったので玄関内へ入り、履いていたパンタロンシューズを脱いで玄関の下駄箱に入れ、同居宅内へ上がった。そして、まず、西側四畳半間へ入って様子をうかがった後、覆面に用いるために風呂場からタオル一枚を取って手に持ち、引き続き東側六畳間へ入って北東角付近にある整理だんす内を物色したが現金が見当たらないため、被害者は独り暮らしなので現金は身につけているものと思い、帰宅した被害者がその現金をどこかにしまって寝た後にこれを探そうなどと金員取得の方法等に思いを巡らし、被害者が被告人の顔を覚えているかもしれないことから、前記のタオルで覆面をし、右六畳間で待機していた。午後九時ころ、被害者が帰宅したので、被告人は六畳間東側の一間の押入れの向かって左上段内へ隠れ、約二時間経った午後一一時ころ、右六畳間へ入ってきた被害者に押入れの襖戸を開けられて発見されたため、押入れの上段から飛び降り、被害者に「静かにしろ」と言いながらその右手首をつかんで後ろ手にして隣の四畳半間へ連れて行った。被告人は、同間において電気こたつのコードを引き抜いて、被害者の両手首を後ろ手に縛るとともに、同間にあった白いハンカチ様のもので被害者の口にさるぐつわをした後、再び被害者を六畳間へ連れて来て、同間に敷いてあったふとんの上に仰向けに押し倒した。そして、被害者が身につけている現金を奪うべく、倒れている被害者の浴衣の腰紐をほどくなどしてその身体を捜したものの見当たらず、その際、被害者の陰部を手指でいたずらしたところ、被害者が足をばたつかせたため、騒がれてはと思い枕元にあった電気スタンドのコードでその両足首を縛ったうえ、被害者をうつ伏せにした。その際、自分が押入れから飛び降りたときに上段から落としたと思われる布袋様のものが落ちているのを認め、これを押入れ上段内へ戻したところ、そこにがま口を発見し、これを手にとり、着ていたジーンズの上衣のポケットに入れてそのまま六畳間を出た。被告人は、同居宅を立ち去るべく四畳半間を通って廊下に出て、覆面のタオルをとって風呂場に戻したところ、被害者が大声で「助けて」と二、三回叫んだので、近所に聞かれてはまずいと思い、被害者を殺害することを決意し、再び六畳間へ戻って、うつ伏せに倒れていた被害者をふとんの上に抱き起こし、手首を縛っていた電気こたつ用のコードの余りの部分を両手に持って被害者の首に回し、首の後ろで左右に交差させて一気に絞めると被害者ががくんと首を前に垂れたので、死んだと思った。その後、被害者の顔を見たくないため、被害者がその上に倒れていたふとんの端を持って、これを一気にひっくり返して被害者の体の上にかけたところ、ふとんの下の枕元の下あたりに現金入りの封筒があったので、これを上衣のポケットに入れた。そして、台所でたばこを吸って一服するうち、四畳半間に電話機があることを思い出し、被害者が万一生き返って警察に連絡することを心配し、右電話線を切断しようと考え、台所の流しの下の戸を開けて包丁を取り出し、右包丁を使って四畳半間南側の長押の上で電話線を切断した。その後、右包丁を元の所に戻した後、下駄箱からパンタロンシューズを取り出して履き、午後一一時三〇分ころ被害者宅を出た。そして来た道を引き返して新鹿沼駅方面へ戻るうち、途中で、奪ったがま口と封筒の中身を確かめたところ、がま口には千円札が三枚位、百円玉五、六枚、十円玉二、三〇枚、封筒には、一万円札四枚、五千円札一枚がそれぞれ入っており、これら現金をとり出して上衣のポケットへ入れた後、がま口及び前記軍手片方を前記日吉団地入口のマーケット付近の側溝に投げ捨て、封筒は細かく破いたうえ、右がま口等の投棄場所付近の道路上に捨てた。被告人は新鹿沼駅へ向かったものの、同駅から浅草へ向かう電車の始発が午前五時ころなので、それまで時間があることから、翌五月三一日午前零時ころから午前三時三〇分ころまでの間、途中の道路脇の小屋へ入って時間待ちをした後、午前四時一〇分ころ新鹿沼駅に着き、午前五時過ぎころ発の浅草行の始発電車に乗って東京方面へ向かった。東京へ着いた後、五月三一日から六月初めころまで浅草公園、上野公園等で野宿などするうち、奪った金もなくなったため、その後は、都内の水道工事店、工務店等で働いたものの、九月中旬ころからは全く職にもつかず、日比谷公園で野宿するうち、同月二〇日、同公園内で起こった傷害事件の参考人として警視庁丸の内署で事情聴取を受け、更に本件について取調べを受けるうちに、翌二一日、本件の自白をし、同署において緊急逮捕された。

以上が、被告人の捜査段階における最終的な自白の概略である。

二  被告人の供述の経過

被告人は、捜査段階における取調べの状況、供述調書等の作成経過、当公判廷において当初本件犯行を認めた心境及び後にそれを翻すに至った経緯等について、当公判廷において縷々供述し、他方、被告人の取調べを担当した証人福田篤、同矢口秀文、同小瀬沢敏、同淡路竹男らは、捜査段階における取調べ状況につき、被告人の供述と真向から対立する供述をしている。ここでは、自白の任意性の観点からの双方の供述の詳細な吟味は留保することとするが、関係証拠によると、被告人の供述の経過につき、次のような事実が認められる。

1  被告人は、丸の内署において本件につき取調べを受け始めてから、長くみても約一二時間ほどの間に、被害者を殺害したこと等常識的にもきわめて重大な犯罪で重罰に処せられるべきことが目に見えているともいえる本件の自供を始めている。

2  被告人は、右自供を始めた後、その日(九月二一日)のうちに、後の詳細な供述の基本となるべき犯行態様等についての図面及び前記がま口を捨てた場所についての図面を作成している。前者は、全体としては簡略な図面であるが、単に被害者殺害の場所を示すにとどまらず、自己の隠れた場所や被害者を縛った場所も記し、被害者を表わす人物記号を二つ記載するなどして、殺害に至るまでの経過の根幹を示す内容となっている。また、後者は、同様にごく簡単な図面であるが、前示のとおりこれに基づく捜索の結果、実際に被害者が生前に所持していたがま口が発見されたもので、いわゆる「秘密の暴露」にあたる供述といい得る(但し、単純な窃盗事犯等であれば格別、本件のような住居侵入・強盗殺人の事案においては、なお右秘密の暴露の存在が被告人を本件の犯人とする決定的な事実と断ずることはできないというべきである。)。

3  被告人は、翌二二日、司法警察員及び検察官に対し、それぞれ本件の概要を供述しているが(9・22員及び9・22検弁録。証人福田篤の供述によれば、右員面調書の作成が先である。)、右供述は、いずれも、重要な点で先に摘記した最終的な自白内容と異なる部分が存する(例えば、被害者の陰部をいたずらしたこと、現金入り封筒を奪取したこと、電話線を切断したことの欠落等)とはいえ、全体としては、おおむね、これの基本をなすものであって、殊に、被害者を殺害するに至る経過、殺害の態様に関する供述部分は、既に相当具体的なものとなっている。

4  被告人は、九月二四日の司法警察員による取調べの際には、右のとおり二二日の供述の際述べなかった被害者の陰部をいたずらしたこと、現金入り封筒を奪取したこと及び電話線を切断したことをいずれも具体的に供述し、以後、起訴に至るまで、供述調書のうえでは基本的には供述の変更等がないままに本件についての自供を繰り返したものである。

5  被告人は、九月二二日に行なわれた裁判官の勾留質問の際にも、本件(但し、まだ自白していなかった封筒入り現金の強取は、被疑事実に含まれていなかった。)を全面的に認め、さらに、前示のとおり、起訴後第一回公判期日における冒頭手続の際にも、被害者に対する殺意は否認したものの、その余の公訴事実についてはこれを認める供述をし、証拠物の一部についても説明をしている。

このように、被告人は、捜査官の取調べに対し、取調べ開始後かなり早い時期にきわめて重大な事犯というべき本件の自白を始めたうえ、それについて一部秘密の暴露を含む相当具体的で詳細な供述をし、捜査官ばかりでなく勾留裁判官及び受訴裁判所に対しても同様の自白を繰り返したわけであって、かかる事情を勘案すれば、被告人の自白は信用性が高いとの判断に達し得るようにも思われる。

しかしながら、右のようないわば表面にあらわれた経過から一歩踏み込んだ検討が必要であるように思われる。

確かに、本件においては、公判廷に提出された被告人の供述調書はすべて自白を内容としており、証人福田篤、同矢口秀文、同淡路竹男ら捜査官の尋問によってもいわゆる否認調書の存在は認められない。また、同証人らは、取調べ中に被告人が自白を翻して否認に転じたことはない旨供述する。しかしながら、以下のような理由で、被告人が九月二一日に丸の内署でいったん自白をして以来、終始自白を繰り返していたものとは断じ難い。すなわち、(イ)58・2・4員報(留置人出入簿写添付)と各供述調書の各取調べ日とを対照すると、警察官による取調べがなされながら供述調書が存在しないのは、九月二三日、二五日、二六日、一〇月二日、四日、五日、八日、一〇日、一一日であり、とくにこのうち九月二三日(日)には午前九時一五分から午後零時三八分まで、午後一時五五分から午後八時五八分まで、ときわめて長時間の取調べがなされたことになっておりながら同日取調べの供述調書は存在せず、また、翌二四日付供述調書は内容は重要な点を含むけれどもわずか七丁のものであり、同日にも午前九時三〇分から午後零時五分まで、午後一時一二分から七時一〇分までの間に取調べがなされているところからしても右二四日付調書が二三日の取調べの結果をも整理したものとは認め難く、他方、被告人は、当公判廷において、取調べの経過について触れるなかで、相当記憶に混乱があるけれども自白の後一、二日の間に自白を翻して本件犯行を否認したため調書の作成がなされなかった空白の一日が存する旨供述していること、(ロ)近時、この種重大事犯においては、被疑者が自白している場合、犯行現場において被疑者の行動を逐一指示させて写真撮影し、実況見分調書等を作成するのが通常であるのに、本件においては、新鹿沼駅から被害者宅までと、被害者宅から新鹿沼駅までの間の被告人の行動につき引当り捜査がなされ、捜査報告書が作成されておりながら(証人小瀬沢敏の供述)、肝腎の被害者宅内や庭先への引当り捜査がなされていないこと、(ハ)終始自白のみを繰り返していたのであれば、取調べ時点での心境や反省の気持等につき相当の供述がなされて調書化されるのが通常であるのに、本件においてこれにあたるのは、わずかに一〇月一〇日付検面調書中の「問D子さんに対しては現在どのように思っているか。答そのときは金がほしかったし、夢中でしたが、現在では申し訳ないことをしたと思っております。D子さんの冥福を祈ります。」との問答があるだけにすぎないこと、などからすると、そもそも、取調べの状況が、全面的に各捜査官が供述するようなまったく問題のない状況であったとはにわかに信じ難く、少なくとも、被告人が九月二一日に丸の内警察署において自白をして以来、捜査期間を通じて終始自白のみを繰り返していたものとはとうてい断じ難いのである。したがって、先に指摘したような供述の経過を理由として被告人の自白の信用性を肯定することは、やや性急に過ぎるものといわざるを得ないのである(なお、このような供述の経過については、経過自体についての被告人の弁解の合理、不合理性の観点から後に再び検討する。)。

三  自白の具体性、詳細性と信用性について

前記一で概略を記した自白の内容は、具体的で、かつ、詳細なものといえるのであり、この点も信用性を肯定する方向に働く事情であることは否定できない。

検察官は、被告人の自白の内容は被告人が真実自分で経験し、犯人しか知り得ない事実を吐露したものであり、十分に信用できると主張する。

被告人の自白の内容は、先に触れたがま口、足跡痕のことを除くと、大きく別けて二つに分類することができる。すなわち、事件発覚直後から収集された証拠によって明らかかあるいは容易に推測が可能な事実(例えば、電気こたつ用コードによる両手の緊縛状況及び絞殺状況、電気スタンドコードによる両足首の緊縛状況、電話線の切断、陰部へのいたずら、被害者宅の間取り、家具調度の状況等)と、自白以外に直接的な裏付けといえる証拠がほとんどないかあるいは乏しい事実(例えば、軍手のこと、所持金、犯行の動機、被害者宅内での滞留時間、覆面、さるぐつわ、、現金入り封筒のこと等)に分けられるところ、後に検討するように後者の中に不合理、不自然といわざるを得ない点が多く、前者については、むしろあまりにも具体的でかつ詳細すぎるが故に、かえって被告人の記憶によって供述がなされたのかどうかが疑わしいと思われる部分が各供述調書中に随所にあるのであり(例えば、9・29員の被害者宅内の間取りや家具調度等について供述している部分がその典型である。)、事件発生後被告人の取調べを開始するまでに三か月半余の期間があり、その間に実況見分、検証、鑑定嘱託、関係者からの事情聴取等の捜査活動を重ねたうえで警察官が被告人の取調べに臨んだ本件においては、供述の具体性、詳細性をもってその信用性を肯定することは、いささか性急に過ぎるきらいがあるものといわなければならない(なお、各員面調書と検面調書を比較対照してみると、本件においては、両者の信用性を別異に検討すべき事由を見出せない。)。また、一般的にいって、被疑者が捜査官の取調べを受けるに際し、捜査官の誘導等や自己の想像あるいはそれらの競合により、自己の記憶に副わない内容の供述をしてしまう危険性のあることは、これまでの多くの先例が示すところであり、被告人が公判廷において、捜査段階において自白を強要された旨縷々旨べている本件においては、その信用性の判断にはなお慎重な配慮が必要である。

四  自白内容についての個別的検討

そこで、進んで、被告人の自白の内容につき個別的に検討を加えることにするが、当裁判所は、以下のとおり、種々の疑問点を指摘せざるを得ないのである。

1  動機

被告人は、被害者宅に侵入した目的は金員の窃取であり、その動機については、三〇日、所持金二五〇〇円位で実家を出て浅草行きの電車に乗るべく東武線新鹿沼駅へ赴いたところ、同駅で缶ビール七、八本位(一本一六〇円)、ポケットウイスキー一本(一六〇円位)、さきいか一袋(三〇〇円位、柿の種一袋(三〇〇円位)を購入して飲食してしまった結果所持金が七〇〇円位となり、浅草までの電車賃(七六〇円)欲しさに窃盗を思いついたと供述し(9・22員、9・22検弁録)、その後電車賃に加えて、翌日昼ころまでの食事代があればよかったと供述している(10・1検)。

被告人は、銃砲刀剣類所持等取締法違反(少年時、審判不開始)、道路交通法違反(昭和五一年、懲役四月、執行猶予三年)の前科、前歴のほか、昭和五三年一二月六日、警視庁神田警察署に窃盗(事務所荒し)の容疑で検挙され、同年同月一九日起訴猶予処分となった前歴を有するのみである。被告人は、右窃盗につき、雇主が約束どおりに給料を支払ってくれなかったので、その事務所へ入って什器等を持ち出して質入れしたものであると供述するのであり(9・27員)、被告人が本件当時すでに満三一歳であったことからすれば、右のような前歴を考慮しても被告人にいわゆる盗癖等の犯罪性向があったものとはとうてい認められないところである。

ところで、本件は、他人の住居に敢えて忍び込むという積極的な態様での犯行ということなのであり、当然その動機、目的が重要な意味を持つものといわざるを得ないところ、仮に被告人において被害者が女性の独り暮らしで小金を貯め込んでいるだろうとの認識があったとしても、この種事犯についての犯罪性向を有するとはいえない被告人にとって、被告人が供述する程度の金銭の不足を補うということは、動機、目的としてもちろんあり得ないことではないにしても、薄弱であるとの感を免れないのではなかろうか。

2  犯行場所

被告人は、五月三〇日、新鹿沼駅から実家へ戻る途中の午後七時三〇分ころ、実家まで約四〇〇メートルの地点にある日吉団地入口角のたばこ屋付近まで来た際、独り暮らしで小金を持っていると思われる被害者宅へ窃盗に入ることを決意し、被害者方へ向かったと供述する(9・22員、9・29員、10・3検)。

しかし、被害者宅と被告人の実家であるA子方とは一五〇メートル位しか離れておらず(6・12検調)、被告人は以前被害者と隣り合わせに居住していたことがあって同女と顔見知りであり、また、近所の者にも顔を知られているのであるから、被害者宅での犯行は、被告人にとって発覚し易い点で危険なものであったはずである。もっとも、そのことがあって、被告人は被疑者方庭先で真暗になるまで待ち、午後八時ころ被害者宅へ侵入したというのであるが、少なくとも、窃盗を決意して被害者方へ着くまで数百メートルの間、人の出入りの予想されるたばこ屋やマーケット、酒屋付近を人の顔がはっきり識別できる程度の明るさの中を歩くこと(10・3検、9・22実)にはかなりの危険が予想されることであると思われる。先に指摘した動機、目的との関係をも併せ考慮するとやや不自然な感を免れない。

3  被害者方庭先での待機

被告人は、被害者方へ到着したが、まだ周囲が明るかったので庭先の繁みに約三、四〇分隠れて暗くなるのを待ち、その後、玄関から侵入したと供述する(9・22員他)。

他人方の庭の繁みに隠れての三、四〇分といえば相当の時間である。被告人は、被害者宅玄関のガラス戸が施錠されていないということをあらかじめ知った上で隠れていたというのであろうか。それとも知らないまま、侵入方法については明確な考えを持たないまま漫然と隠れていたのであろうか。また、周囲が暗くなる前に被害者が帰宅した場合どうするつもりであったのであろうか。他の事項についての被告人の自白の具体性、詳細性とのバランスからすると、これらの点についての説明が欠けているといえるのではなかろうか。また、そもそも、三、四〇分隠れていた、ということ自体に疑問を差しはさむ余地があるのではなかろうか。

4  靴の隠匿

被告人は、被害者宅へ侵入した際、玄関内の下駄箱の戸を開けて自分の履いていたパンタロンシューズをその中に入れて閉めて室内に上がり込んだと供述する(9・22員、9・22検弁録、9・29員)。

被害者が帰宅し、玄関へ入ってくることは当然予想され、したがって、気付かれないために玄関先へ靴をそのまま放置しない、という配慮は当然であろう。しかしながら、下駄箱へ入れる、ということがあるだろうか。自らの逃走のための配慮に欠けすぎ、不自然であるといえないであろうか。証拠上被害者宅内に靴跡が認められないことや、被告人は三〇日実家を出るとき手に何も持っていなかった、との供述(9・28員、10・3検)との関係で、靴を素手に持ったまま侵入したと考えにくいところから、右のような供述にいわば落ち着いたのではなかろうか。実際には、後にアリバイの項で検討するように、当夜被告人は紙袋を持っていた可能性がきわめて強い。

5  物色行為

被告人は、被害者宅へ侵入した午後八時ころから約一五分間、四畳半間及び六畳間の様子を見て回り、六畳間の北東にある整理だんすの一番上の小引出しを二、三か所開けて財布、がま口等を探したが見当たらないので、現金は被害者が身につけていると考えてそれ以上の物色を断念し、以後被害者が帰宅する午後九時ころまで、金員取得の方法等につき思いを巡らしつつ、六畳間の畳の上や同間に敷かれてあったふとんの上に座っていたと供述する(10・5検〔検一〕、9・29員。なお、9・22員、9・22検弁録によれば、被告人は六畳間の整理だんすの物色以外にも四畳半間北側の茶だんすの引出しを開けて物色した旨供述していたが、この供述は、撤回されている。)。

ところで、被害者宅の四畳半間には、引出しのある仏壇(その最上部の左右の小引出しが約一センチメートル引出されている。)、サイドボード、六畳間には、被告人が物色した北東の整理だんすの他にも北西角の整理だんす、鏡台、更には北東隅にうす水色及び白色の各ボストンバッグ、茶色手提バッグ等いずれも一見して現金がしまわれていると想像される場所等がある(6・10実、6・12検調)。被告人は、被害者宅へ侵入した当初は金員窃取が目的であり、またその金額も所持金約七〇〇円と浅草までの電車賃七六〇円との差額六〇円程度(9・22員、9・22検弁録、9・28員)ないし右の差額のほか翌日の朝昼食代程度(10・1検)の少額のものであったことからすれば、これらの金員の発見には通常さほどの困難を覚えることはないと思われる(後述のとおり、被告人が物色した整理だんす内のがま口には右電車賃の不足を補うに足りる二〇〇円余りの現金が入っていたし、同たんす左側小引出しにはばら銭五三五円余りがあった。)。そのうえ、被告人は、玄関が施錠されていないことから被害者は近所へ出掛けて間もなく帰宅すると考えていた(10・5検)のであるから、素早く物色して被害者宅を立ち去ることが必要であったにもかかわらず、約一五分間右二室内を見て回りながら前記整理だんす内を物色したのみで通常右のような金員があると思われる場所等につきそれ以上の物色を断念したとする供述は、被告人が人の居住する家に窃盗に入ったことが初めてで現金を探す方法を思いつかなかった(9・29員)にせよ、疑問を抱かざるを得ない。

更に、被告人が物色した整理だんすの最上段右側小引出し内には、実際には、一見すれば容易に発見し得る位置にがま口三個、財布一個が入っており、右がま口一個には、現金二〇〇円余りが在中していたし、左側小引出しにはばら銭五三五円余りが入っていたのである(6・12検調)。被告人は、四畳半間の豆電球しか点灯していなかったためこれらを見落としたと供述するところ(10・9検)、確かに四畳半間の豆電球のみを点灯した場合には隣の六畳間内では新聞の活字の判読等はできない程度の明るさしかない(6・29実)のであるから、これらを見落とすこともあり得ないことではないが、そもそも被告人の目的が金員窃取であったことからすればこの被告人の物色行為は、きわめて不注意か不十分なものであり、奇異の感を免れない。

被告人は、先に指摘したように、侵入後約一五分物色して後、被害者が帰宅した九時ころまでの間の約四五分間、金員取得の方法等につき思いを巡らしつつ座っていたという。物色行為が短くかつ簡単であったことが奇異であるとともに、そもそも、約四五分間もそのようなことで他人の家の中で座っていたということ自体も奇異の感を免れない。

以上のとおり、被告人の物色行為に関する供述には多分に不自然かつ不合理な点があると思われる。

6  押入れ内へ隠れたこと

被告人は、午後九時ころ被害者が帰宅するや、六畳間の一間の押入れの向かって左側の襖戸を開けてその上段に入り、以後午後一一時ころ被害者に発見されるまでそこに隠れていた旨供述する(10・5検二通、9・22員、9・29員、9・22検弁録)。

被告人が入ったとされる上段向かって左側には、奥に衣装ケース、ダンボール箱等が積み重ねられており、手前にはハンドバッグ、手提袋等が雑然と置かれている(6・12検調)。したがって、そこに隠れるためには当然立ったままでいることはできず、また、奥に衣装ケース、ダンボール箱が積み重ねられているため、座れないまま手前の方に腰をかがめる状態でいる必要がある。このことについては、この押入れに入ってみたという証人淡路竹男も、押入れ内は人がちぢこまってやっとという感じであり、しゃがんだうえ内側から敷居の上あたりを手で押えていなければ滑り落ちるか襖に当たってしまい、また、二時間も入っていれば、手足がしびれてしまう旨述べている。

このような状況からすれば、約二時間も同所に隠れることは全く不可能とはいえないまでもきわめて困難であろう。そのうえ同押入れの向かって右上段は、被告人が入ったとされる左上段との間に仕切りはなく、何も入っていなかったので(被告人が被害者宅へ侵入した際すでに六畳間にふとんが敷かれていた、という被告人の供述を前提とするとこうなる。詳細は10参照)、人が十分座って隠れることが可能であったはずである(6・12検調)。暗かったにせよ、被告人がこのことに気付かなかったこともまた不自然である。

更にいえば、被告人は被害者の帰宅に気付いて、いわば慌ててないしはとっさに、窮屈な姿勢をとる結果とならざるを得ない所に身を隠したことになるが(9・22員、9・29員、10・5検〔検一〕)、被告人が被害者の帰宅を待ちながら、約四五分間も、自己の隠れ場所さえ見分しなかった、というのも常識的には、かなり奇異な事柄というべきである。

したがって、押入れに隠れたとする被告人の右供述には、これに関連する供述を含め多大の疑問を抱かざるを得ない。

7  がま口及び封筒入り現金の発見

被告人は、被害者に発見されたため、その両手、両足を縛ったうえ六畳間のふとんの上に押し倒したが、その際、同間に布袋が落ちているのに気づき、前記自分が隠れていた押入れ上段にこれを入れたところ、丁度、その場所にがま口があるのを発見してこれをとり、更に、被害者を殺害後、敷いてあったふとんをひっくり返して死体の上にかけたが、その際、ふとんの敷かれていた畳の上に現金入りの封筒を発見してこれをとった旨供述する(10・5検〔検二〕、9・22員、9・24員、9・29員、9・22検弁録)。

被告人が右がま口及び封筒を発見するに至る経緯は、そのこと自体あり得ないことではないにせよ、いずれもきわめて偶然の出来事であるとの感を免れない。被害者を縛ったという状況下で布袋なるものを押入れにしまおうとする行為にはとうてい必然性がうかがえないし、布袋について検証調書等を示されての説明もない。

金員の取得が動機、目的であっただけに、右のような発見、取得の経過は不自然であるとの感を免れない。

8  バスタオル

被告人は、被害者の帰宅前、被害者宅風呂場内にあった洗濯物の一番上からバスタオル一枚を取り出してこれを覆面として使用したが、後にもとの風呂場内に戻しておいた旨供述する(9・29員、10・5検二通)。そして、被告人は、白色で、約一一五センチメートル及び五五センチメートルの長方形のバスタオルがこれである旨供述する(10・6員〔検二〕)。

ところで、右バスタオルには、両面にかなり多量の血痕様の汚損がみられるうえ、その短い方の端と平行に長さ約二五センチメートルに及ぶ断裂がみられる。右の汚損が何によって生じたものであるか、特に血痕であるか否かが捜査段階において明らかにならなかったことは遺憾であるが、そのことをさておいても、このような汚損及び断裂は顕著な特徴であって、右バスタオルの同一性の確認に役立つと思われるにもかかわらず、被告人は前記10・6員〔検二〕において、「手ざわり、色、程度、大きさ」等から覆面として使用したバスタオルにそっくりであり、豆電球の下で直接手に持ったから間違うことはない旨供述するのみで、この点について何ら触れるところがない。

また、右バスタオルで覆面したというが、このようなバスタオルで覆面をすることは実際問題としてけっして簡単なことではない。まして被告人は長時間にわたって覆面をしたままでいたという。しかし、被告人の供述の中には覆面の方法について具体的に触れるところがない。

以上の点で、被告人のバスタオルに関連する供述には疑問を差しはさむ余地がある。

9  さるぐつわ

被告人は、被害者に発見された後、四畳半間で、被害者の手首を電気こたつ用コードで後ろ手に縛ったうえ、同間に落ちていたハンカチ様のものを拾い、被害者の口にかませて、首の後ろで一重に結び(結び目が一つという意味ではなく、顔の周囲を一回まわしたとの意味か)、その垂れたところをさらに口に押し込んでさるぐつわをした旨供述する(10・5検〔検二〕、9・29頁)。

被告人が右さるぐつわとして使用した旨供述するのは、白色タオル地に空色の格子模様のある約三三センチメートル四方のハンカチである(10・6員〔検六〕)。ところで、右ハンカチには、被害者の血液型と同一のA型の血液がかなり多量に付着しているが、唾液の付着はまったく認められない(7・20鑑)。被告人が被害者の口に右ハンカチでさるぐつわをしてから、これがはずれるまでには、被告人は被害者の身体の捜索、その緊縛、陰部のいたずら、がま口の発見などの行動をしていることになっており、当然ある程度の時間が経過していたと思われ(10・5検〔検二〕、9・29員)、また、ハンカチの一部を被害者の口に押し込んだという方法からしても、右ハンカチには被害者の唾液の付着が認められるはずである。それにもかかわらず、前述のとおりこれが認められないということはきわめて不可解であり、被告人の前記供述は、証拠上明らかな真実と符合しないものといわなければならない(なお、ほかにもさるぐつわに使用されたことをうかがわせる布類等の存在は証拠上認められない。)。

また、右ハンカチは、六畳間の畳の上で乱雑に丸められた状態で落ちているのを発見されており(6・10実)、これは単にさるぐつわがはずれて落ちたものとは認め難く、被告人の自白を前提とすれば被告人以外に右ハンカチをこのような状態にする者は考えられないにもかかわらず、被告人はさるぐつわがはずれているのを発見したと述べるのみで、この点につき何ら説明をしていない。この点も理解し難いところである。

なお、被告人の自白、したがってそれを前提とした本件訴因及び冒頭陳述においては、被告人が被害者に対して殺意を抱くに至った直接の契機は、さるぐつわがはずれて、被害者が「助けて」と声を発したことであるとされている。そうとすれば、右さるぐつわに用いられた本件ハンカチは検察官の主張事実を立証するためのきわめて重要な証拠であるはずである。ところが右ハンカチは裁判所の示唆により第三六回公判期日(昭和五八年二月二二日)に至りようやく証拠申請されたという経緯がある(ハンカチについての鑑定書はすでに第一回公判期日より数か月前の昭和五四年七月二〇日付で作成されており鑑定嘱託による鑑定に使用していたために提出が遅れたものではないことは明らかである。)。きわめて重要な証拠でありながら証拠申請されず、一方それに関連する被告人の自白と当該証拠物とを対比すると重大な疑問点が浮かび上がるということをどのように理解すべきであろうか。被告人の供述の不合理性、不自然性とは問題を異にするけれども、指摘しておく意味はあるものと考える。また、前記8において検討したバスタオルについても、ほぼ同様の指摘をすることができる。

10  ふとん類

被告人は、六畳間に敷いてあったふとんの上で被害者を殺害後、敷ふとんの下を持ち、右ふとんをひっくり返してその死体の上にかけた旨供述し(10・5検〔検二〕、9・29員)、10・5検〔検二〕添付の図面第二葉及び9・29員添付の図面第一一葉において、被告人は、右ふとんは二つ折りになった状態で、すなわち、被害者の死体を上と下からはさむ形になっているように図示している。

ところが、死体の発見時においては、死体は、その頭部付近が白カバー付の掛けふとんの表側の上に乗っており、その他の部分は直接六畳間の畳の上に横たわっていて、その上に右掛けふとんの残りの部分が裏返しの状態で乗っており、さらに乱雑に折りたたまれたかいまき、広げられた敷ふとん、たたまれた裏返しの夏掛けふとん、マットレスがその順でその上に積み重ねられている(6・10実)。つまり、被告人の図示するところと全く異なっている。また、被告人の供述に従えば、その重なっている順序を全て逆にすれば敷かれていた際のそれになるはずであるが、これによれば、右ふとん類の敷かれていた順序は、上から順に掛けふとん、かいまき、敷ふとん、夏掛けふとん、マットレスとなる。しかし、通常のふとんの敷き方からみて敷ふとんとマットレスの間に夏掛けふとんがあること及びこれがたたまれた状態にあることは理解し難い。さらに、本件発生時の五月三〇日ころの気候からすれば、右のようなふとん類をすべて寝具として用いることには、被害者が当時六二歳の老女であったことなどを考え併せても、疑問が生じるところである。

以上によれば、被告人の前記供述の信用性には多分に疑いが残るというべきである。

なお、6・10実、6・16検調によれば、被害者の死体に乱雑にかけられたふとん類は、日頃六畳間の一間の押入れ上段右側に収納されていたことが容易に推認できる。ところで、本件発覚時にこの押入れ右側襖戸が数センチメートル開けられたままであったことは、山田節雄ら(6・10員、9・27検、6・10実)が、現場に臨んでの特徴的な状況として指摘しているところである。被害者宅の室内の家具調度などの状況につききわめて詳細に供述している被告人が、この点には触れていないことをどのように評価すべきであろうか。この襖の状況は、被害者殺害の時点で後に死体の上に乱雑にかけられることとなったふとん類すべてがすでに敷かれてあったのか否か、被告人が真実押入れ左側上段に入ったのか、入ったとして右側上段の状況に本当に気付かないことがあるのだろうか、物色との関係はどうだったのだろうか、現金入り封筒は被告人の供述するような状態で存在したのであろうか、等の諸事項と相当密接に関連することといえるのではなかろうか。以上のような観点から、右の点につき説明がないことはやはり不自然ないしは客観的証拠との不一致であると指摘せざるを得ない。

なお、被告人は、六畳間のふとんが敷かれている状態につき、南を枕にして南北に敷かれていた旨図示している(9・29員添付図面第五葉、10・5検〔検一〕)。

しかしながら、6・10実によってうかがわれる同間の間取り及び家具調度の配置状況からして、むしろ、東西に敷くのが自然な感覚ではなかろうか。

11  殺害後の被害者の姿勢

被告人は、被害者殺害の状況について、うつ伏せになっていた被害者の体を抱き起こし、背後からコードで被害者の首を力一杯一気に締め付けたら、被害者ががくんと首を前に垂れたので死んだと思い後ろに倒すと、顔がやや東向きに、頭は北西方で、足は東南方に向けた状態になった旨供述する(9・29員、10・5検〔検二〕)。

この状況は、確かに、発覚時の被害者の姿勢に符合する(6・10実)。ところが、発覚時に被害者の着衣等に付着していた血液等の状況をみると、血液は、その口唇左端から左頬にかけて付着し、その下側の前記白カバー付掛けふとんにも付着浸透してそれが左肩下まで広がっている一方で、浴衣やその下の肌着の各右肩付近にも相当多量に付着浸透し、それが、右胸部付近まで広がっていたのであり(6・10実、7・20鑑)、このことは、被害者が絞殺され出血した後いったん顔が右(西)を向く状態で倒れた後、何らかの理由で、最終的には発覚時のような、顔が左(東)を向く状態に変ったことを強く推測させる。

被告人の前記供述は、右推測に副わない内容を含んでいるものといわざるを得ない。また、もし、殺害後ふとんを引っぱって掛けた際に死体の向きが変ったということが考えられるとしても、やはり被告人の前記死体の姿勢に関する供述は全く事実に合わないこととなる。その意味で前記供述には疑問が残るものといわざるを得ない。

12  物色行為についての供述の変遷

前記5で触れたとおり、被告人は、9・22員、9・22検弁録においては、六畳間の整理だんすのほか四畳半間の茶だんすを物色したと供述していたところ、その後、9・29員、10・5検〔検二〕において、四畳半間を見たがそこには金はありそうに思えなかったので同間では物色しなかった旨供述するに至ったものの、このような供述を変えたことについては何ら理由を述べていない。

両供述を比較してみても、いずれも明確な供述であって記憶の不鮮明さによるものとは考え難い。

いずれにせよ、金員取得という本件の目的との関係で重要な意味をもつ物色行為についての供述にこのような単純なかたちでの変遷があるということ自体不自然であるといわざるを得ないのではなかろうか。

13  がま口等の発見状況についての供述の変遷

被告人は、まず、被害者を殺害後、押入れの襖を閉めようとした際にがま口を発見した旨供述し(9・22員、9・22検弁録、9・24員)、次いで、被害者を殺害し、ふとんをひっくり返した際現金在中の封筒を発見したのでそれをとり、その後押入れの襖を閉めるときがま口を発見してこれをとった旨供述し(9・24員)、最終的には、被害者の両手を緊縛した後、浴衣の腰紐等をほどいて金品を探し、その後両足を緊縛し、畳の上に落ちていた布袋を押入れ内に戻す際に同押入れのがま口を発見してこれをとり、現金入り封筒は被害者殺害後ふとんをひっくり返した際に発見してとった旨供述する(9・29員、10・5検〔検二〕)。

このうち、現金入り封筒の発見のことが当初述べられていないということは、犯人には自己に不利益な事柄を出来るだけ隠そうとする心理が働くとの理由付けが可能であり、もし被告人が真犯人であるならば、不自然な変遷ともいえないであろう。

それでは、がま口の発見についての供述の変遷はどのように評価すべきであろうか。被告人は供述を変えた理由を「従前の供述は勘違いであった」と述べている(10・10検)。しかしながら、右がま口についての供述の変遷は、がま口発見の時期ばかりでなく、発見に至る経過をも明らかに変更するものであって、単なる勘違いによって生じるものとはとうてい考え難い。三次にわたる供述のうち最初の二回では、いずれも被害者を緊縛までしながら、金員取得という本件のそもそもの目的を達成することもなく、被害者宅から退去しようとしたことになる。金員の発見及びその奪取は殺害行為とともに本件犯行の柱ともいうべき行為である。このような重要な部分の供述に大きな変遷があること自体、供述の不自然さとして指摘せざるを得ないのである。

14  押入れに隠れた動機についての供述の変遷

被告人は、被害者が帰宅した際、押入れに隠れた動機につき、初期には、被害者が寝静まったら逃亡しようと思って、とっさに隠れたと供述し(9・22員、9・22検弁録)、その後、被害者は現金を身につけているはずで、寝る際それをどこかに置くはずだから寝静まってからそれを取ろうと思ったなど、あらかじめ隠れることを意図していた趣旨の供述をする(9・29員、10・5検〔検二〕、10・9検)。

このように、押入れに隠れた動機及び隠れることを決意した時期につき供述は大きく変遷しているのである。確かに、当初の供述の方が明らかに犯情は軽く、一般論としては犯人の供述心理として、このような変遷も理解できないではない。しかし、最終的な供述のように、被害者が寝静まるまで隠れていて、寝静ったらとろうなどと、あらかじめ意図していたものとすれば、先に6において指摘したように、待機中に隠れ場所を探すなどの配慮が当然あってよいのにそれがない。

本件においては、被害者の死亡推定時刻や近所の者の被害者宅の点灯状況の目撃時刻との関係で、犯行時刻が推認されるのであるが(詳細はアリバイのところで触れる。なお、捜査機関においてもほぼ同様の推認をしていたものと思われる。)、被告人と殺害行為とを結びつけるうえにおいて、約二時間にわたっての押入れに隠れた行為がきわめて重要な意味を持つのである。このように重要な事項についての供述に大きな変遷があること自体やはり指摘せざるを得ないのではなかろうか。

五  自白の信用性についての結論

被告人の自白の内容には、右のとおり、それ自体不合理、不自然な点、被告人のある供述を真実であるとの前提に立つと、他方不合理、不自然であると指摘せざるを得なくなる点、客観的証拠と符合しないかあるいは符合しない疑いのある点、説明があってしかるべき証拠上明らかな事実につき何らの説明がなされていない点、変遷を不自然といわざるを得ない点など、自白の信用性に疑問を抱かせる点が多く見受けられるのである。もちろんこの疑問点の中には疑問の度合が比較的軽度で、他に心証形成上の決定的な要因があれば容易に解消してしまうものもあるけれども、その多くは本件犯行における重要ないしは基本的な部分に関する供述にあり、また疑問の度合の著しいものも含まれているといわざるを得ないのである。

当裁判所としては、公判廷における接触を通じて看取される被告人の性格の変奇性等を念頭におき、かつ、供述者が真犯人であってもなお不合理、不自然な供述がなされ得る要因、すなわち(イ)記憶違いにより不正確、不十分な供述をするおそれ、(ロ)一応は犯行を自供するものの故意に不合理、不自然な点や客観的証拠に符合しない虚偽の供述を織り込み、捜査、公判を混乱させ、ひいては自己の刑責を免れもしくは軽減しようとするおそれ、(ハ)捜査官の誘導や自身の自暴自棄の気持などが相まって犯行の一部についていい加減な虚偽の供述をするおそれ等、のあることを十分に考慮して検討しても、なお本件被告人の自白の信用性には、相当の疑いを差しはさまざるを得ないのである。

第四アリバイ

一  アリバイの概略

被告人は、昭和五五年二月二一日の第三回公判において、アリバイの存在を主張し、第二四回公判以後の被告人質問において、詳細にアリバイの経過を供述する。また被告人は、右第三回公判後で、第四回公判前の昭和五五年四月、合計八通の手紙(符一九ないし二六。昭和五七年一一月一一日の第三一回公判において取調べられた。)を当時の被告人の国選弁護人、母A子及び当裁判所宛に差出しているが、うち三通(符一九ないし二一。符一九は昭和五五年四月八日付で弁護人宛のもの。符二〇は当裁判所宛のものであるが裁判官の目に触れることなく、弁護人が保管していた。符二一は母宛である。符二〇と符二一は内容は同一で、いずれも同月一四日付のもの)には、右供述とほぼ同旨のアリバイの経過が述べられている。

被告人が被害者宅へ侵入したとされる五月三〇日午後八時ころから、同居宅に留まって被害者を殺害し、同居宅から逃走したとされる午後一一時三〇分ころまでの間の公訴事実等記載の時間帯につき、被告人の主張するアリバイの経過は以下のとおりである。

すなわち

「被告人は、五月三〇日午後四時一〇分ころ自宅を出て東武線新鹿沼駅に行き、同駅で缶ビール等を買って飲酒した後、同駅を出て、午後四時五〇分ころから午後七時一〇分ころまで、同駅付近のパチンコ店(店名百万弗)でパチンコをした後、同店付近の立食いそば屋で飲食し、その後、

(一)  午後七時四〇分ころ、同駅から東へ進んだ信号機のある交差点のところにある酒店(吉見屋)でポケットウイスキー一本と缶ビール二本を買ったが、その際応対した店の人は小柄で太った四〇歳前後の女性であり、

(二)  その後、同駅へ戻って約一時間ほど飲酒した後、同駅を出て午後八時四〇分ころから翌三一日午前零時三〇分ないし四〇分ころまで、鹿沼市鳥居跡町の飲み屋合計三軒位で飲酒したが、飲酒した店の順序は不明であるが、そのうち一軒はうるさい店であり、一軒は「再会」という名称だったと記憶するが、五五歳位のママさんと二、三人のホステスがおり、一軒はマスターと二、三人のホステスがいて、そのホステスのうち一名は子供がいて、夫と離婚したという三三、四歳の女性であった。」

というのである。

二  右アリバイの成否

1  吉見屋酒店

証人金澤さだ子の証言(第一九回公判)によれば、同人は、鹿沼市鳥居跡町九九二番地、東武線新鹿沼駅前で、昭和四年から吉見屋酒店の名で酒類販売業を営んでいること、営業時間は午前七時から午後一〇時ないし一一時ころまでであり、うち午後七時三〇分以降は同人が一人で店番をするのが常であること、昭和五四年五月三〇日も平常どおり営業していたこと、が認められる。しかし、同人は、同日被告人が店に来たか否かは記憶がない旨証言する。

もっとも、更に、同人の証言によれば、被告人が買ったと供述するポケットウイスキーと缶ビールの価格は、昭和五四年五月当時、前者が一本一五五円(なお、近所の者であれば一五〇円で販売する。)であり、したがってポケットウイスキー一本と缶ビール二本では合計四七〇円になること、同店の売上げ金額を時間的に早い順に各売上げごとに記載したレシートの昭和五四年五月三〇日分には、売上げ品目は記載されていないが、一五九一番ないし一七〇〇番の各売上げが記載されており、そのうち一六七八番に売上げ金額四七〇円の記載があるが、通常の客の来方によれば同レシートの一六七四番位以降は、午後七時三〇分ころ以後、右金澤自身が売った分であると推定されることが認められる。

右事実を総合すれば、吉見屋では、昭和五四年五月三〇日夜来た客に総額四七〇円の品物を販売したことが認められ、しかも、右金澤が同日午後七時三〇分少し過ぎたころに応対した可能性が強く、そうだとすると、一応被告人の供述((一)の部分)と符合する事実が存するように見受けられる(なお同女は昭和五四年五月三〇日当時は五六歳で、被告人の供述する「四〇歳前後の女性」とはやや年齢的に符合しないが、この程度の差異は、人の年齢を推測することの困難さなども考慮すれば、さほど問題にすべきではない。)。

しかし、前述のとおり、右レシートには売上げ品目の記載はないのであるから、一個又は複数個で右四七〇円という金額となる売上げ品も他に存することは十分推測し得るところであるばかりか、現に五月三〇日の前日二九日の同様のレシートによれば、同日にも金額四七〇円の売上げが二度記載されており、右金澤の証言によれば、そのうちの一度は、同日午後八時か九時ころのものであることが認められること、右金澤自身、被告人の顔ばかりでなく、その服装・態度等の特徴的事実についても記憶がない旨証言するにとどまっていることなどに鑑みると、右金澤の証言等により、五月三〇日午後七時四〇分ころ右吉見屋酒店で、ポケットウイスキー一本と缶ビール二本を買ったとの被告人の供述が事実であると直ちに断ずることはできないといわざるを得ない。もっとも、右金澤が平生扱っていた客数、現金小売りという販売態様、被告人についての供述を求められた時期等を念頭に置けば、同女が被告人に見覚えがないからといって、直ちに被告人の供述が全くの虚偽であると断ずるのも相当でない。

2  スナック「ニューみどり」

証人古川ナツ(昭和五七年三月前は旧姓「青木」であり、名は「夏子」とも称する。)の証言(第一九、三五回公判)によれば、同人は、昭和五二年八月八日から、鹿沼市鳥居跡町九八九番地において、スナック「ニューみどり」を経営しているものであるが、同証人は、被告人のアリバイ主張に関して大要次のとおり証言する。

「被告人らしき人物が一度客として店に来たことがあり、その人は、初めて見る人で、午後九時から九時三〇分過ぎに一人で来て、二〇分前後で帰った。その人は、頭髪は角刈りが伸びたような感じで、ストライプのシャツにジーンズかブレザーのような上着を着ており、紙袋のような気がするが、何か手荷物を持っていた。当時一人で店をやっていたので、その人から、『この辺に女の子(ホステスのこと)はいないか。』と尋ねられ、二、三軒隣(と言ったような気がするが)に女の子がいる旨答えた記憶がある。」(もっとも、厳密には、右のうち一部については、「前に訪れた弁護人にそう答えた」旨の証言内容となっているが、この部分についても、右弁護人らに答えた内容が記憶に反するものであったことをうかがわせる事情は格別存在せず、同人も右弁護人らに答えたところが記憶に反するものであったとは証言していないのであって、基本的には右のような証言があったと同視し得るものと考えられる)。

右証言内容そのものは、同人が職業柄通常人より相手人物(客)の容貌・言動等をよく観察・記憶していると思われること、殊に、「被告人らしき人物」が初めて、しかも一人で来た客であり、また、客としてはかなり変わった言動を取った点もあり(比較的早い時間に来て、「女の子はいないか」などと聞いて、間もなく出て行ってしまったことなど)、同人の印象に残るところが多かったと思われること、同人において、被告人との関係、関係者の働きかけ 誘導などにより記憶に副わない証言を行うべき理由を格別見出し得ないこと(ただ、同人が当初昭和五四年の仕切帳であるとしていたノートが後に昭和五三年のものと判明したが、その証言によっても、同人が殊更事実を曲げて右ノートを提出したとは認められず、また、先に挙げた各証言は右ノートに基づいて行われたものとは解されないから、右のような事実が存することは、少なくとも右各証言の信用性にそれほどの影響は与えないものというべきである。)などからして、一応信用することができるものというべきである。

ところで、証人古川は、公判では必ずしも一貫して右「被告人らしき人物」がすなわち被告人である旨断定しておらず、確かに、一般的にいえば、被告人に類似した容貌の人物が同人の店を訪れたということも考えられないわけではない。しかしながら、同人の証言によれば、同人は、昭和五五年四、五月ころ、訪れた弁護人らから被告人の写真を示されて、少なくとも「似ている人が店に来た気もする。」と答え、その後、本件の公判を傍聴に来た際、被告人を一目見て店に来た人に間違いないとの印象を受け、周囲で傍聴していた関係者にもそのような趣旨の言葉を漏らしたことが認められ、更に、同人が証言する前示のような「被告人らしき人物」の来店した時刻、言動、服装、持物等の証言内容は、被告人の当公判廷における供述の内容に符合するところが多く、逆に、重要部分においてこれに相反する点は格別見出せず、なお、同人の証言等によれば、スナック「ニューみどり」の所在や右のような証言をなし得る証人古川の存在は、被告人の供述に基づく弁護人らの探索の結果判明したものと認められ、以上の各点を総合すれば、同人が「被告人らしき人物」として記憶する者は、すなわち被告人であったものと認められるというべきである。

そこで、更に被告人が「ニューみどり」を訪れた時期につき検討するに、この点について証人古川は、昭和五四年の梅雨どき(五月末から六月にかけてのころ)と思う旨証言する部分もあるが、その証言自体「はっきりしない」との留保付きであるうえ、右のように証言する根拠も結局明確ではなく、したがって、同人の証言により右の時期を特定ないし限定することはできないものといわなければならない。そして、そうだとすると、同人の証言は、被告人のアリバイを立証するものではないばかりか、それ自体としては、その有力な証拠でもないといわざるを得ない(もっとも、右証言が他の証拠との関連で意味を持ってくるということはなおあり得るわけであるが、その点は後に触れる。)。

3  スナックバー「華」

証人佐藤マスミの証言(第一七回公判)によれば同人は昭和四九年六月二八日から、鹿沼市鳥居跡町九八九の三でスナックバー「華」を経営しているものであるが(ちなみに、前記スナック「ニューみどり」は二軒置いた隣りである。)、同証人は、被告人のアリバイ主張に関して大要次のとおり証言する。

「昭和五四年五月三〇日と思うが、午後一一時一五分前ころ、知らない客が店に一人で入って来た。客は既に酒が入っているという感じだった。その日は暇で、普通(午後一一時ころ)より早く閉店しようと思っていたため、一度は断ろうとしたが、ホステスの阿久津ヤイ子が、『暇だったから、少しでも飲ませてやったら。』と言うので、客を三つあるボックス席のうち入口に近いボックス席に座らせ、自分と右阿久津が同じボックス席に座って応対した。その際、客とホステスが並んで座るのに、客の持っていた週刊誌等の入った取手付きの紙袋が邪魔なので預かってカウンター内に置いた。その客は年齢三〇歳前後で、色白、頭髪は五分刈り位であり、服装はよく思い出せないが、そう見すぼらしい格好ではなく、顔が実家の近くの人によく似ているので、似た人もいるものだと思ってしみじみ客の顔を見た。客は、ビール二本(チャーム一つ)を注文し、それを自分と右阿久津と三人で飲んだ。客は口数が少なく、歌も歌わず、主に自分と阿久津が話しかけたりした。ビール二本目を四分の一位残しているところで、午後一一時一五分か二〇分ころになったので、右佐藤が『お開きにさせて下さい。』と頼むと、その客は、『はい。』と答えて承知してくれた。代金は、全部で二七〇〇円か二七五〇円位になったと思うが、客は千円札三枚を出し、『おつりはいいよ。』と言うので、『じゃカラオケ(代)にいただいておきますよ。』と答え、右三〇〇〇円を受け取った。客を見送るため店を出ると、小雨が降っていたので、自分の車で送ろうかとも思い、その旨尋ねると、その客は、『いいよ。』と言って断ったので、そのまま店に戻った。一〇分か一五分位して閉店して店を出るとき、付近に客の姿はなかった。その客が被告人であることに間違いないと思う。」

以上のとおり、証人佐藤は、被告人であるとする「知らない客」が来たときの経過、状況等をかなり詳細に証言するところ、右「知らない客」が来た時点から相当後になって(同人の証言によれば、昭和五五年五月ころ弁護人らに対し右証言内容と同様の供述をしていると認められるが、その時点でも約一年は経過していたことになる。)かかる詳細な証言をすることは、一見奇異に感じられないでもないが、前記証人古川の証言内容が信用し得る理由として挙げたところとほぼ同様の理由(職業的な観察・記憶力、客の入ってきた経過、その言動、持物等の特異性、虚偽の供述を行うべき理由の不存在等)で、「知らない客」が来た際の経過、状況等についての証言内容自体は信用することができるものというべきである。そして、右証言内容は、やはり前記証人古川の証言と同様、被告人の公判供述に符合するところが多く、逆に、重要部分においてこれに相反する点は格別見出せず(もっとも、被告人は証人佐藤の店の名が「再会」であると思っていた旨供述するが符一八の地図によれば、実際に「華」や前記「ニューみどり」の並びに「再会」なる店の存することがうかがわれることなどからして、右の供述は被告人の勘違いとして説明のつく事柄というべく、重要な相違点ということはできない。)、また、証人佐藤の証言等によれば、スナックバー「華」の所在や右のような証言をなし得る証人佐藤の存在は、被告人の供述に基づく弁護人らの探索の結果判明したものと認められ、なお、「華」のホステスをしていた前記阿久津ヤイ子も、証人(第三四回公判)として、一応証人佐藤の証言内容に副う証言(被告人の新聞記事をみた九月二六日ころより数か月ほど前に、被告人が一人で店に来たのは間違いないと思う等。)をしており、以上の各点を総合勘案すれば、証人佐藤が右のとおり「知らない客」として証言する者は、すなわち被告人であったものと認められる。

そこで、更に、証人佐藤の「被告人が来店したのは五月三〇日と思う。」旨の証言内容について検討するに、同人が右のように推測する根拠として挙げるところは、やや明確を欠く部分もあるが、要するに、一つは、五月三〇日より四、五日後自宅に警察官が本件について聞き込みに訪れた際、警察官から五月三〇日夜の客の人数、様子等を聞かれて同日夜の状況を思い起こし、警察官に、当夜の客は常連の石川某と「知らない客」の二人だけだった旨答えた記憶があるということであり、もう一つは、昭和五五年五月ころ弁護人らから被告人のことについて、被告人が五月三〇日の夜に店に来たと言っていることを前提として種々尋ねられ、更に、五月三〇日分の領収証写に符合するものがあるか確認してくれるよう頼まれ、後で、自宅でこれを確認したところ、五月三〇日分の領収証写(一枚のみ存在)中、飲酒品目の記載(ビール二本、チャーム一つ)が「知らない客」についての自己の記憶と一致し、料金額の記載(二七五〇円)も右記憶とほぼ一致するものであったということである。

まず、前者の根拠付けについてみるに、同人は、石川某と「知らない客」すなわち被告人との関連を含め、「その夜は一斉交通取締りがあったのか、客が一人も来なかったところ、午後九時半から一〇時ころと思うが、石川某が一人で来たが、何も飲まずに歌だけ歌って二〇分位で帰って行き、その後も客が来ないので、前記のとおり早めに閉店しようとしていたところへ被告人が入ってきた。」旨証言しており、その夜の客が石川某と被告人の二人のみであったことを、その経過を踏まえてかなり明瞭に記憶しているということができる。そして、証人佐藤が聞き込みに訪れた警察官に対し、五月三〇日夜の客が石川某と「知らない人」の二人であったと答えたことも、これを聴取した警察官の報告書類ないしメモ中に同様の記載が存在するとうかがわれること(証人福田篤の、本件直後ころの聞き込み捜査の際、アリバイ証人からどのような聞き込みを得ていたかを担当者に問い合わせたところ、右のような記載があるとの回答を得た旨の証言。もっとも、右福田証人は、証人尋問が進むにつれ右証言を変更しているが、変更後の証言及びその変更の理由とするところはいずれもあいまいであって、やはり変更前の右証言に信用性があるといわなければならない。)により一応裏付けられるところであり、以上の点に鑑みれば、右の根拠付けは、少なくとも相当有力なものであるといわなければならない(もっとも、証人佐藤が聞き込みに来た警察官に対し、五月三〇日前後の日の状況を勘違いして述べたことが全く考えられないわけではないが、それにしても、五月三〇日から相当隔った日に被告人が「華」に来た可能性は、ほぼ否定されるものというべきである。)。

次に後者の根拠付けについてみるに、確かに、証人佐藤の指す領収書綴り(符九、料理飲食等消費税領収証)の内容は、同人が指摘する点及び結局五月三〇日の領収証が一枚しか切られていないという点で、同人の記憶とよく符合している。ただ、人数欄が「二名」となっていることは、本来同欄が実際に飲食した客の人数を書き込むことになっていることからすれば、一見同人の記憶に副わない内容であるかのようにも受け取れるけれども、同人は、また、「私もその点を不審に思い、よく考えてみたら、当時客が少なかったので、見栄のようなものもあって、実際には飲食していない石川某の分も入れて人数欄に二名と記載したのを思い出した。」旨証言するところ、右のような理由で、いわば事実に反する記載をすることもあながち考えられないわけではなく、それが単なる同人のこじつけであるとは一概に断じ得ないというべきである。もっとも、客の人数、飲食の内容等がほぼ同様となる日というのは、他にも考えられるところであり、右五月三〇日付の領収証写の存在のみをもって、直ちに右根拠付けの正当性が裏付けられるわけではないともいえるわけで、更に、例えば五月三〇日前後の日の領収証等の内容を検討すべきものとも考えられる。しかしながら、さきに前者の根拠付けに関連して説示したとおり、被告人が五月三〇日から隔った日に「華」に来たことはほぼ否定されるのであって、これを前提とすれば、右領収証綴り(五月二九日分~七月二〇日分)の中でやや問題となるのは、五月二九日分の領収証写のみであるというべく、これとても、ビールの本数が三本であり、また、「カラオケ五〇〇円」との付記がなされている(証人佐藤は、前記のとおり、被告人から代金のつりをいらないと言われて「カラオケ(代)にいただいておきますよ。」と答えた旨証言するが、他方、被告人は歌は歌わなかったとも証言するのであり、また、つり銭であれば、同領収証写記載のような「代金合計三八五〇円、カラオケ五〇〇円」という記載はあり得ないと考えられる。)点で、やはり被告人が当夜すなわち二九日に来店したことをうかがわせるものとはいえない。そして、被告人が五月三〇日ではなくそれ以前の近いころに「華」に来店したことをうかがわせる領収証や帳簿類は、検察官においてその証拠収集、提出が必ずしも困難とは思われないにもかかわらず、本件公判には他に全く提出されていない。右のとおり、後者の根拠付けは、それ自体としては、必ずしも強力なものとはいえないけれども、前者の根拠付けとの関連性、本件の証拠提出状況等を勘案すれば、やはり相当有力なものであるといわなければならない。

以上のとおり、証人佐藤が、被告人が五月三〇日の夜来店したとする根拠付けは、全体として、完全とはいえないとしても、相当説得力があるものというべく、したがって、被告人が五月三〇日の夜、同人の証言するような状況で「華」を訪れたことは、同人の証言によりこれをほぼ認めざるを得ない。もっとも、人証という性質等からして、他の証拠関係如何によっては、なお右認定が覆る余地は存するものともいわなければならないので、その余の証拠上の問題について更に検討を加える。

4  アリバイに関する被告人の供述の評価

被告人は、前述のとおり、関係者に宛てた手紙及び公判における供述の中でアリバイの主張をしているところ、その内容は、飲み屋を出た後被害者宅へ赴いた際の状況等の供述に比しても、それほど詳細なものとはいえず、殊に、飲み屋で飲酒した際の状況等は、仮にそのような事実を体験しているとすれば、もう少し記憶に残る事柄が多くてしかるべきようにも見受けられないではない。もっとも、右の点は、被告人がそのころは相当飲酒を重ねつつある状態にあったことが前提となっていること、飲み屋街を飲んで回ること自体は、社会通念上格別特殊な行動とはいえず、また、前記「ニューみどり」や「華」はいずれも長屋的に並んだ飲み屋街にあり、証人古川や証人佐藤の証言等によっても、右の各店が格別特徴のある飲み屋であるともうかがわれないことなどを念頭に置けば、うなづけない事柄ではないというべきである(なお、同じような理由で、被告人が前記のとおり証人佐藤の店の名を「再会」と思い込んでいたこともうなづけないではない。)。いずれにしても、右供述内容そのものからは、格別その信用性を決定づけるような事情をうかがうことはできないといわなければならない。

しかしながら、被告人のアリバイに関する主張とこれに関連する各供述内容が、さきに検討したとおりこれに関する複数の証人の証言等と符合するところが多く、逆に、これらと重要部分において相反するところが格別見出せないということは、右の主張の正当性を裏付ける方向に働く有力な事情といわなければならない。けだし、社会通念上、「吉見屋」「ニューみどり」「華」という、もともと被告人と、あるいは相互に、全く、ないしはほとんど関係のなかった店の証人の証言等が右のような関連を呈したということを単なる偶然によるものと解することは著しく困難であるといわざるを得ないからである。もっとも、一般的には、被告人がアリバイに関する証人の証言に矛盾しないように、つじつまを合わせて供述しようとするということも考えられないではないけれども、複数の、しかも証言内容もかなり異なる証人らの証言が存するのに、それらに合わせて供述をすることは困難なことであるうえ、そもそも本件においては、被告人は、前示のとおり第三回公判と第四回公判との間の時期に、既に、その関係者宛の手紙の中に、後に公判で供述したとほぼ同内容のアリバイに関する供述を記載しており、これに基づく弁護人らの探索の結果アリバイに関する証人等が発見されたという経過をたどっているのであって、被告人が、ことアリバイ主張に関しては、右のようなつじつま合わせの供述をしたものとはとうてい解することができない。

更に、被告人は、否認に転じた際、特にアリバイの点に触れ、「私には(その)アリバイがあります。」と述べ、その後間もなく関係者に出した手紙の中でも、冒頭に「(私は強盗殺人はしていません。警察に騙されました。)私は、アリバイがあります。」と記載し、以下に具体的なアリバイの主張を記しているのであり、少なくとも、被告人が本件犯行を否認する上で、アリバイ主張を重要な根拠と意識していることは明らかというべきであるが、かかる意識を有する被告人の供述に基づく弁護人の探索の結果、本件において、そのそれぞれの証拠価値はともかくとして、書証を含め、相当具体的な内容を含むかなりの数の証拠の申請・取調べがなされたということ自体も、また被告人の右主張の正当性を裏付ける方向に働く一事情というべきである。けだし、右のような状況からすると、被告人は、具体的には弁護人らの手を借りたとはいえ、アリバイに関する、より多くの、より具体的な証拠が収集・提出されることを望んだものと推測されるところ、かかる意図を貫こうとすれば、そこには逆に、具体的な証拠によりその主張が一気に覆される可能性が常に潜んでいるということは常識的にも明らかというべく(例えば、前記「吉見屋」の当日のレシートに被告人の供述に合致する金額の記載がなく、あるいは、前記「華」の領収証つづりに、被告人が飲酒したことに見合う領収証写が存しないことが立証されるような場合。)、かかる可能性を承知の上で右のような経過・態様で行われたアリバイ主張には、もちろん危険を冒して虚偽の主張をするということがあり得ないわけではないとしても、相当の迫真性があるものといわなければならない。

そして、被告人のアリバイ主張に関し右に指摘した二つの点を考え併せると、右主張に関する一連の被告人の供述は、細部における記憶違いや脚色の可能性はなお存するとしても、基本的には、全体を通じて信用性が高いものといわざるを得ず、殊に、前記「華」についてのアリバイ主張は、証人佐藤の証言等の証拠価値について検討したところを併せ考慮すれば、他によほど強力な反証のない限り、これに副う事実の存在が認められるものといわなければならない。

5  その他の問題点

(一) 被告人の所持金

被告人のアリバイ主張に関するもの以外の公判供述の信用性等については後に詳述するが、右のアリバイ主張に関連して、被告人が五月三〇日母方を出た時の所持金の額についてのみここで検討しておくこととする。被告人は、捜査段階における自白の中では、右所持金が二七〇〇円位であった旨供述していたものであり、もしそうだとすると、右アリバイ主張に関する一連の供述と明らかに矛盾することになる。しかしながら、被告人が母方を出る際の所持金の額が右の程度であったことについては、直接これを裏付けるべき証拠は存在せず、ただ、母A子の供述調書(9・23員)中に、被告人が家を出る時は、多分電車賃位しか持っていなかったのではないかと思う旨、確かな根拠に基づくものとは思われない推測を述べる部分があるにとどまり(なお、同人及び同人と同居していた被告人の妹B子、その夫Cの各供述調書中に、被告人が母方にいる間つつましい生活をして金を余り使わなかった旨の供述部分があるが、仮にそうであったとしても、それが直ちに被告人が常々極端に所持金が少なかったことを推測させるものとはいい難い。)、一方、母方を出る時三万円前後の所持金があった旨の被告人の公判廷における供述は、これまた直接の裏付け証拠はないけれども、これに関連する、二月末から五月末まで、母方にいた間の金の出入りについての供述内容に、浦田嘉夫の員等関係証拠の内容と矛盾する点や社会通念上不自然と思われるような点が格別見当たらないことなどからして、一概に全く虚偽であると決めつけることはできず、結局、本件証拠上、被告人が五月三〇日母方を出る際三万円位ないしそれに近い額の現金を所持していた可能性はなお否定し切れないものというべきである。

(二) 被告人が五月三〇日以外の日に「華」等に赴いた可能性

被告人は、公判において、五月三〇日の夜以外の機会に前記鳥居跡町の、「華」「ニューみどり」等が存在する飲み屋街に赴いたことはない旨断言する。確かに、その他の関係証拠によっても、被告人が五月三〇日以外の日に証人佐藤、同古川らに目撃されたのと同様の服装、持物で、同様の時間帯に右飲み屋街に赴いた一般的な可能性を全く否定することはできないかもしれない。しかしながら、他方、被告人が右飲み屋街を五月三〇日とは別の機会に訪れたことを裏付けるべき具体的な証拠は全く見出し得ないことからすると、右の可能性は、きわめて抽象的な漠然としたものにとどまるといわざるを得ず、被告人のアリバイ主張について前示のような立証がなされている以上、少なくとも「華」についてのアリバイ主張に副う事実の認定は、右のような漠然とした可能性によっては容易に覆し得ないものというべきである。

(三) 被告人の自白の信用性との関連性

被告人の自白の信用性については、先に詳しく検討したところであるが、仮に右自白の内容がきわめて首尾一貫し、不自然、不合理な点も見当たらないというのであれば、翻って、右に検討してきた被告人のアリバイ主張及びこれを裏付けるべき証人の証言等の方に虚偽の事実が含まれているのではないかとの疑いを抱く度合いが高くなるものというべきであろう。しかしながら、前示のとおり、被告人の捜査段階における自白の内容には、犯行に至る経過や犯行態様等重要な部分に、容易に疑問を払拭し得ない不自然、不合理な点や他の証拠と矛盾する点等が種々存するのであって、右のような自白の存在をもって、前記の被告人のアリバイ主張に副う事実の認定が覆り得ると解することもまた、本件では相当でないといわなければならない。

6  アリバイの成否についての結論

以上検討したところによれば、本件証拠上、被告人のアリバイに関する主張は信用性が高く、一連の供述に副う事実の存する可能性が強いというべきであるが、少なくとも、そのうち、被告人が五月三〇日の夜前記「華」を訪れたことは否定し得ないものといわざるを得ず、その時間帯も、証人佐藤の証言内容からして、多少のずれはあるにしても、午後一一時にまたがるおよそ三〇分余りの間であったと認めることができ、右時間帯については被告人にアリバイ(本件犯行場所にいなかったことの証明)が成立するものというべきである。

三  アリバイの成立する時間帯の前後に犯行に及び得る可能性

以上に検討した範囲で被告人にアリバイが成立することを前提として、それでもなお被告人が本件のような犯行に及ぶことが可能であったか否かについて検討を加えることにする。

本件公訴事実及び検察官の冒頭陳述によれば、被告人は、午後一一時過ぎころ被害者に発見されるなどしたため、同人を殺害し、午後一一時三〇分ころ被害者宅を出たというのであって、明らかに前記アリバイに抵触するように受け取れるのであるが、時刻の点については、公訴事実の記載において「ころ」とされている場合には、これにある程度の幅を持たせて解釈することが許されるものというべく、したがって、被告人が前記「華」に赴く前又は赴いた後に犯行に及び得る可能性はなお検討を要するところといわなければならないので、それとの関連で、被害者の死亡推定時刻等について検討を加える。

1  被害者の死亡推定時刻

医師大野政次作成の5・31死体検案書によれば、被害者の死亡推定時刻は、五月三一日午前零時より午前六時までの間であり、即死とされている。

医師黒須靖作成の56・11・26鑑、同人の証言(第二〇回公判)及び6・6捜によれば、被害者の死亡推定時刻は、前後約二〇パーセントの誤差をみて、昭和五四年六月一日午前八時四五分現在で死後三四時間内外経過しており、また、胃の内容物の消化状態等から食後二時間ないし最大限三時間三〇分程度とされている。

右両名の推定する被害者の死亡時刻は、かなり幅があるが、胃の内容物の消化状態等から推定される死亡時刻は、かなり限定的なものと思われるので、これとの関係で、まず、被害者の死亡直前の食事時間について検討する。

死体解剖時における被害者の胃の内容物は、きゅうり、たけのこ及び米飯粒であったこと(7・30鑑)、本件発覚時には、被害者宅台所内にある炊飯器の中に既に炊き上がった二合位の米飯粒が入っていて、そのうちから、茶碗一杯分位が取り去られており、また同所の鍋の中にたけのこ等が入っている味噌汁が残されていたこと(6・12検)、を併せ考えれば、被害者は、死亡する直前に自宅でたけのこ入りの味噌汁と米飯その他の食事をしたことが明らかである。

ところで、被害者は、遺族会の二泊三日の旅行を終えて、五月三〇日午後六時二〇分ころ自宅へ着き(川田キクの検、根本洋子の検、員二通)、午後七時ころ、旅行のみやげ物を持って、近所の山田まつ方等を訪れ、午後九時ころ、自宅へ戻るべく同人方を出て(山田まつの6・4員、山田節雄の検、員)、その後、前述のとおり午後九時七、八分ないし一〇分ころ、自宅前で近所の川田祐二にその姿を目撃されている。

したがって、被害者が食事をした時間として考えられるのは、午後六時二〇分ころから午後七時ころまでの間と、右川田祐二に目撃された午後九時過ぎ以降である。しかし、被害者の友人である渡辺利一が、午後六時三〇分ころ、たけのこ八、九本を持って被害者宅を訪れ、被害者に右たけのこを渡したうえ、茶を飲むなどし、午後六時五〇分ころ被害者宅を去っており(同人の第三三回公判における供述、同人の員、検)、被害者は、このたけのこで味噌汁を作ったものと推測されるが(6・10実、6・12検調)、右渡辺は、同人が被害者宅にいる間、被害者が食事をしたり、その仕度をしたりしていたことはない旨断言するのであり、同人が被害者宅にいた時間や通常食事及びその仕度に要する時間を勘案すれば、被害者が旅行のみやげを配りに出る前に食事を済ませたということはあり得ないものというべきである。なお、山田節雄(検)及び山田まつ(6・4員)の各供述調書中には、被害者が山田まつ方を辞そうとするとき、同女から夕食を食べていくように勧められたのに対し「食べてきたよ。」と答え、そのまま帰った旨の供述部分があるが、被害者は、当日午後五時ころ旅行の帰りに二〇〇円の天ぷらそば一杯を食べていること(川田キクの検)や、社会生活上右のような応答が往々にして食事を断る方便に用いられるものであることからすると、右のような供述部分の存在は、右の判断の妨げとはならない。

結局、被害者が食事をしたのは、近所から帰宅した午後九時七、八分ないし一〇分過ぎ以降ということになる。そして、前記のとおり当日被害者がとったと推認される内容の食事の仕度には通常短くとも三〇分程度はかかると思われることを考慮に入れると、被害者が食事をしたのは早くとも午後九時四〇分ころとなり、更に、これに前記の被害者の食後死亡までの推定時間(食後二時間ないし三時間半程度。このような推定をすることにつき格別に疑問を抱かせるような事情は見当たらない。)を併せ考えると、被害者が死亡したのは、早くとも三〇日午後一一時四〇分ころと推定される。なお、被害者が帰宅後食事の仕度にとりかかるまでに時間があったり、あるいは仕度そのものにもっと時間がかかることを想定すると、右の時間は、更に後にずれ込むことも考慮しておく必要がある。

2  被害者宅の点灯状況から推測される事柄

被害者宅の斜め向かいに住む川田充夫は、五月三〇日午後一一時一〇分ころ、自宅車庫内から被害者宅室内の各部屋に螢光灯が点灯され、玄関のガラス戸が明るくなっていることを、また、近くに住む川田タケは、同日午後一一時二〇分前後ころ、被害者宅前の路上で、被害者宅の玄関のガラス戸越しに室内の奥の方の電気だけが点灯されて薄ぼんやりしていることを、それぞれ目撃している(同人らの員、なお、9・28報には、同人らが室内のどの電灯が点灯されていたのを目撃していたかについての実験の結果が記載されている。)。しかるに、本件発覚時には、被害者宅の電灯はすべて消灯の状態にあったのであるから(山田節雄の員、検、6・12検調)、右のとおり五月三〇日の夜についていた電灯は、被害者又は犯人が消灯したものと推測される。もし被害者が消灯したとすれば、被害者が殺害された時刻は、川田充夫及び川田タケの両名が点灯状況を目撃した時刻以後であり、また、犯人が消灯したとすれば、犯人が被害者宅を立ち去ったのはやはり右両名が点灯状況を目撃した時刻以後になる(なお、犯人がいったん被害者宅を離れた後、翌日の夕方本件が発覚するまでの間に犯人等が入って消灯したということも考えられないではないが、右川田充夫と川田タケの目撃した被害者宅の点灯状況が著しく異なることからすれば、いずれにしても右目撃がなされたころに、消灯を行なうべき誰か(被害者を含む)が存在していたことになるので、結論はほぼ変わらない。)。

以上により、いずれにせよ犯人が被害者宅を立ち去ったのは午後一一時二〇分前後ころよりも後にならざるを得ない。

3  結論

以上1、2を総合すれば、そこに存在すべき誤差の可能性を十分に考慮に入れても、本件の犯人が被害者を殺害した後被害者宅を立ち去ったのは早くても三〇日午後一一時をかなり過ぎていたものといわざるを得ず、更に被害者宅と前記「華」との間の距離(符一六の地図によれば、直線でも約二・四キロメートル強あると思われる。ちなみにこれよりやや近い被害者宅と東武線新鹿沼駅との間は、通常の経路によっても約三・六キロメートルあり、通常歩行で四六分程度かかる。9・26報)も考え併せると、被告人が本件犯行後、前記のとおり当日午後一一時前後に訪れていたという事実を覆し得ない「華」へ立ち寄ることは不可能というべきである。

他方、被告人が「華」を出た後に犯行に及び得る可能性はなお否定し得ないのである。

第五被告人の弁解

被告人は、前述のとおり、捜査段階における上申書、弁解録取書、供述調書等において、また、第一回、第二回公判において、公訴事実を全面的にあるいはおおむね認めていたが、第三回公判において、アリバイが存在する旨述べて無罪を主張するに至り、第二四回公判以降の被告人質問において、事件当日の自己の行動等を詳細に供述する。そこで、被告人がこのような供述の経過をたどった理由として述べるところを含めて、右被告人質問における供述(アリバイの点を除く。)の信用性と、本件におけるその意味合い等を検討することとする。

一  自己の供述経過についての弁解

1  捜査段階で自白したこと

被告人は、取調べ官の有形無形の暴行脅迫、トイレへ行かせないという巧妙な拷問、家族への迷惑の思い込ませ、利益誘導等(以上は、弁護人が弁論要旨において整理しているところに従った。)によって自白を強要された旨縷々供述し、他方、取調べにあたった警察官らは、そのようなことは一切なかった旨供述している。先にも触れたように、いずれが真実かは各供述から直ちに判断することができず、結論を留保せざるを得ないが、仮に被告人がその供述するような苦痛を受けたとしても、そのことから被告人が直ちに身に覚えのないことを自白する方向へ向かうものであろうか。被告人は自己のアリバイを捜査段階から承知していたというのであるから、右の苦痛を免れるため、通常であれば、まず、アリバイの存在を主張してみようと考えるのではなかろうか。少なくとも、被告人は内心においてアリバイにつき供述したいとの欲求に駆られるのではなかろうか。ところが、被告人自身、公判廷において、捜査段階ではアリバイの主張を全くしなかったし、また、しようとも思わなかった旨供述するのである。被告人は、このことにつき、アリバイを主張すれば、警察官らにそれに関連する証拠を隠滅されてしまうおそれがあると考えた旨供述するが、身に覚えのないことを自白しなければならないほど耐え難い苦痛を受けている者に、このような一見考え過ぎとも受け取れる配慮をする余裕があるとは思われない。右アリバイが一見明白に証明されるようなものであったとはいい難いことなどを考慮に入れても、アリバイについて全く主張せずに自白に及んだという経過及び被告人の捜査段階における意識、それについての被告人の当公判廷における弁解には疑問が残るといわなければならない(なお、その後捜査段階で自白を繰り返した際の状況は、当初自白を始めた際の状況ほどに重要であるとはいい難いうえ、そもそも、被告人が捜査段階において一貫して自白を繰り返していたか否か自体に疑問があることは、前記第三の二において検討したとおりであるので、ここでは、これに関する被告人の弁解の個々的な検討は差しひかえることとする。)。

2  第一回公判期日において公訴事実をほぼ認めたこと

被告人は、「過去に検察官から取調べを受けたことがあり、その際の検察官の態度から、以後検察官一般に対し、強い不信感ないし憎悪の念を抱いていたところ、本件につき、被告人に付された国選弁護人が検察官出身であったため、このような弁護人に自己の無実を訴えて弁護してもらうくらいなら、このまま刑に服した方がよいと思い、また、もし真実を明らかにするとすれば真犯人の存在をも明らかにせざるを得ず、そうすれば、その者に被告人の実家に放火されるなどして家族が報復を受けるおそれがあることなども考え、第一回公判においては、公訴事実を認めたものである。」との弁解をする。

まず、検察官に対する憎悪の念から公訴事実を認めたとの点について、被告人の供述によれば、被告人が右のような感情を抱くに至ったのは、過去に交通関係事件により裁判を受けたがその際検察官から被害者と示談するように言われ、被告人の父が示談金を支払ってくれたもののその金を父に返済しなければならなくなりその支払いに苦しんだこと及び昭和五三年一二月ころ窃盗事件で勾留されて取調べを受けたが、その際検察官に弁解を聞いてもらえなかったこと等からである、というのである。しかし、仮に右のような検察官に対して憎悪等の念を抱く契機となった事実があり また被告人がそのような憎悪の感情を持っていたとしても、そのことと、無実であるにもかかわらず法定刑が死刑又は無期懲役とされる強盗殺人罪(強盗致死罪でも同じ。)で処罰されること(被告人は、第一回公判前にこのことを知っていた旨供述する。)をあえて甘受することとは、そもそも、全く結びつくことではないはずである。のみならず、被告人は、第一回公判で公訴事実を全面的に認めたわけではなく、殺意はなく被害者が助けてと声を出したため夢中で首を締めた旨弁解し、当時の国選弁護人も、被告人の所為は強盗殺人ではなく強盗致死に該当する旨主張しているのであって、かかる供述ないし陳述がどのようないきさつでなされるに至ったかは証拠上必ずしも明らかではないにせよ、そこには自己の罪責を軽減させようとする被告人の態度とこれに副うべく努力する弁護人の姿勢がうかがえるのである。このような被告人の陳述及びそれをうけての弁護人の意見は、被告人のいう検察官出身の弁護人に弁護してもらうくらいならば、むしろ無実の罪で処罰される方が良い、との考えにはそぐわないものであるといわざるを得ない。

また、家族が真犯人から報復を受けるおそれがあるので公訴事実を認めたという点も、被告人自身が真犯人から報復を受けるというのならばともかく、被告人の家族までが報復を受けるおそれがあると考えたということはいささか考えすぎの感があるように思われる。

以上によれば、被告人が第一回公判で公訴事実をほぼ認めた理由として弁解するところもまた、たやすく信用し難いというべきである。

3  第三回公判期日において否認に転じたこと

被告人は、「取調べ警察官から、被告人の家族がその従前からの住居に住んでいられるよう家族を守ってやる旨告げられ、これを信じたこともあって身に覚えのないことを自白していたけれども、第二回公判廷で当時の国選弁護人から被告人の家族がどこかに転居したらしく、連絡が取れないと聞かされて、警察官が約束を守らなかったことを知り、これに憤激して、自己が無実であることを訴えようと決意し、第三回公判でその旨述べ、さらに同旨の手紙(八通)を書くなどしたものである。」と弁解する。

被告人の母A子及び妹B子の当公判廷における供述によれば、同人らは、被告人が逮捕されて間もなく、世間体から、それまでの鹿沼市内の住居を引き払って宇都宮市内へ転居したこと、そのため、国選弁護人とは全く連絡がとれない状態であったことが認められる。したがって、第二回公判において(国選弁護人の場合、第一回公判後第二回公判までに情状証人等の準備をするということは往々にして行なわれるところである。)、弁護人から家族がどこかへ転居したらしい旨知らされたとする被告人の供述は一応信用し得る。しかし、右A子の当公判廷における供述によれば、同人は第二回公判後に被告人と初めて面会した際、被告人から無実であるとは告げられたものの自分らが転居せざるを得なかった事情、転居先、同人や同居している被告人の妹夫婦の現在の生活状態等について被告人と話をしたことはないものと認められるのである。もし、被告人が家族の安否を心配し、家族が無事に生活できるならば虚偽の自白を続けても良いとまで考えていたところに、家族の転居を聞き及んで憤激したというのならば、家族の消息等を、初めて面会に来た母に対し根堀り葉堀り聞き質すのが普通であると思われ、右面会の際にこれを全く話さなかったということは理解し難いところである。このように、被告人が第三回公判で否認に転じた理由として弁解するところも、全体として納得のいくものというには程遠いといわなければならない。

4  右供述の経過についての評価

以上検討したとおり、自己の供述経過における大きな柱ともいうべき三点につき被告人の述べるところは、いずれも十分納得のいかない内容に終始しているものといわざるを得ない。そして、被告人の弁解が右のような状況であることが、一般的には被告人の自白の信用性を高める方向に働くべき事情の一つであることは疑いがない。しかしながら、本件に即してみると、右の点を過大に被告人が真犯人であることの根拠付けに用いることは危険な側面を有するように思われる。

まず、1については、これが決定的に重要か否かは、結局、右自白の内容如何によると解されるところ、被告人の自白の内容自体に種々疑問点が存することは先に詳述したとおりであるうえ、前記アリバイの成立により右自白内容のうち少なくとも相当部分に真実に副わない点があるといわざるを得ず、そうだとすると、そもそも被告人が早々と行い始めた自白が、自己の非を全面的に認めて事実を率直に供述したと推測させるような内容のものであったとはとうてい認め難いことに帰するのである。そして、被告人は前示のとおり警察官の事情聴取を受ける前すさんだ生活に陥っていたものであり、自身も種々真犯人と疑われてもやむを得ない状況のあることを自覚していたものと認められ、被告人の当公判廷における供述全体を検討して行くと、自白の任意性に疑いがあるとの認定に至るか否かはさておき、少なくとも被告人が捜査官の追及を受け、いわば自暴自棄になって右のような自白をなすに至ったという可能性をたやすく否定することはできないのである。よって、1の点は、被告人が本件の真犯人であることを強く推測させるほどのものではないといわなければならない。

次に2についてであるが、本件公訴事実の内容は、前記アルバイトとの関係で真実に副わない点が含まれているといわざるを得ないものの、裁判の場で自己の刑責をほぼ全面的に認めるに等しい陳述をしたということは、やはりそれなりの重みがあるものといわなければならない。しかしながら、実際の問題として真犯人でないものが公判廷においてもその自白を維持するという事例がないわけではないということにも留意する必要があるし、被告人が捜査段階から抱いていた可能性の残る前記のような自暴自棄の念を公判段階まで持ち越すこともないわけではなく、取調べ時と公判時とで被告人の置かれる状況に差があることをあまり強調することも相当とはいえない。なお、当然のことながら、被告人の第一回公判における供述内容は、冒頭手続という性質上簡単なものにとどまっていることなどをも勘案すると、右の2の点をして、被告人が本件の真犯人であることを強く推測させる事情と解するのも、やや躊躇せざるを得ない。

最後に3についてであるが、否認に転じた理由についての被告人の弁解が納得し難いとはいっても、そのこと自体をそれほど重視すべきではない。検察官は、被告人が第三回公判で否認に転じたのは、それまでアリバイや真犯人がいるという筋書までは思いあたらなかったということ以外に考えられない、と論じるが、アリバイの点が単なる虚構とはいえないことは前述のとおりであり、また、本来罪を免れようとする下心があれば、やはり第一回公判から全面否認の態度をとるのが通常と解されるうえ、被告人が実際に第三回公判で否認する際に述べた程度の内容のことであれば、これを第一回公判で述べるについても被告人にとって特段支障となるべき事情が存したものとは思われないことなどに照らして採用できないところである。

以上のとおり、被告人の捜査段階から第三回公判に至るまでの供述の経過及びこれについての被告人の弁解の内容からは、被告人が真犯人であることを強く推認することはできないものといわなければならない(なお、以上で検討した1ないし3の点は、本来個々的な評価に馴染まない事柄であり、右の評価のみによって直ちに結論が導き出される性質のものではないこと、もちろんである。)。

二  本件犯行現場等における自己の行動についての弁解

1  被告人の弁解の概要

アリバイに続くものとして、被告人が供述する五月三〇日及び三一日の行動経過の概略は、以下のとおりである。

被告人は、前記の飲み屋数軒で飲酒し、五月三一日午前零時三〇分過ぎころ最後の店を出て新鹿沼駅へ戻り、飲酒のため気分が悪くなり、雨も降っていたこともあって、午前二時少し前ころまで同駅付近で休息していた。そして、旅館に投宿するべく同駅を出て付近の心あたりの旅館に向かったが、途中警察官と出会って職務質問を受け、名前、住所などを告げて別れた。旅館に着いたものの戸が閉っていて投宿することができず、やむなく実家へ戻ることとし、その帰途、また雨が降ってきたため道路脇のビニール製車庫内でしばらく雨やどりした。午前三時五分過ぎころ、実家の前に着き、家人を起こして入れてもらおうと考えたが、深夜であり、また、家人から家で遊んでいないで真面目に働くよう再三いわれて実家を出たという経緯もあってそれもできず、結局、朝一番の電車で東京方面へ行くこととして、そのまま実家を立ち去り、時間をつぶすため付近の公園の方へ向かった。そして、被害者宅近くまで来たとき、同居宅内から男が出てきて、被告人の方に向かって歩いてきたが、被告人に気付くと反対方向に引き返し、走るようにして逃げ出した。不審に思った被告人が、持っていた紙袋をその場に置き、男を追いかけ、後ろから同人の肩をつかむなどしたところ、男が暴れたため格闘となった。被告人は左手で男のえり首をつかみ、右手で男の右手を後ろ手にして制圧した。その際、男から「金をやるから黙っていてくれ。」と言われたので更に不審の念を強め、男をつかまえたまま被害者宅へ戻った。同居宅の玄関の戸が少し開いていたので、男に更に開けさせて、一緒に居宅内へ入った。豆電球が点灯している四畳半間へ入ったところ、隣り六畳間との間の襖が一部開いており、やはり豆電球が点灯されている同間内に、ふとんをかけられ足だけが見える人間の体があった。そこで、ふとんをまくったところD子の死体であったので、男に「何でやったんだ。」と尋ねたが、男は黙ったままであった。六畳間の押入れの襖が一部開いていたので、男に「押入れを閉めて、電気を消しといた方がいい。」と言って、再び四畳半間へ戻り、先の男との格闘の際に口の中を切って口の中に血がたまっていたので、同間のこたつの上にあった二個の湯飲み茶碗のうち一個を取ってその中に血を吐いた後、台所へ行き、水を出してその湯飲みで口の中をゆすいだ。そして、湯飲みを台所の流しに置き、台所近くの風呂場に置いてあった布で手をふいた。手をふきながら四畳半間の方を見ると、男が同間内の座ぶとんにライターで火をつけようとしているので、直ちに、男に近付き、「やめろ。」と言いながら男のライターを持った手を足で蹴飛ばし、そのライターが飛んだ。黙っている男に対し、「火は付けんな。電話線切ればだいじょうぶだ。」と言って、間もなく被害者宅内にあった包丁で四畳半間の南側の長押の上で電話線を切った。その後、男が持っていたカバンの中から三個の財布を取り出して「これをやるから黙っててくれ。」と言うので、「僚は警察は嫌いだ。俺は東京へ行くから警察にもなんにも言わねえから火はつけるな。」と言って右財布のうち一つをとった。さらに、男に自分の名前等を告げたうえ、男の名前や住所を尋ねたが答えなかったため男の腰を蹴飛ばしたところ、「わたなべ」と名乗ったものの、結局住所は聞き出せなかった。これに前後して、先に手をふいた布で右電話線を切った包丁や口をゆすいだ湯飲みなどの指紋をふき取り、包丁を台所の流しの下に入れ、布を風呂場に置いた後、そのまま男を残して同居宅を先に出たが、男の行先を突きとめようと考え、男をつけるため同居宅の庭先に潜んでいた。しばらくして男が出てきたのでその後をつけたところ、途中、男が日吉屋マーケット前付近で、駐車中のトラックの荷台へ何かを捨てた。後からついて行って、男の捨てた物を拾うとがま口であり、中は空だったのでそれを道路脇の側溝に蹴り込んだ。そのまま新鹿沼駅までつけ、同駅待合室で、男に、前記財布を返そうとしたが男は受け取らなかった。男は一番電車に乗ったので自分も同じ電車に乗り、浅草方面へ向かったが、途中の新栃木駅で男が突然電車から降りたので見失った。そのまま電車で浅草まで行き、その後右財布の中身を確かめると、四万五〇〇〇円入っていた。右財布は、その後公園のベンチで寝ているときに盗まれた。

被告人は、以上のように供述する。

2  右弁解内容の検討

被告人の右供述は、第二四回公判以降になされたものであるが、第四回公判前に被告人が書いた前記八通の手紙の内容とほぼ一致していること、被告人は、当公判廷において、弁護人、検察官、当裁判所から同一の事項について繰り返しなされた質問に対し、おおむね一貫した供述をしていること、被告人は、真犯人とされる男の年令、人相、服装等の特徴につき詳細かつ具体的に供述するなど、その内容において、一見想像で述べているようには見受けられない部分がかなりあること、など、その信用性の高さを推認させる事情も少なからず認められる。しかし、他方、右供述には、以下に述べるとおりの不合理、不自然さ、客観的証拠との不一致等その信用性に疑問を抱かせるような点も数多く存在する。

(一) 実家の前までは戻ったが、中に入らずそのまま立ち去ったこと

深夜であり、かつ、家族から真面目に働くよう再三言われて実家を出たので戻りにくかった旨の被告人の弁解自体は、一応理解し得ないではない。しかし、右のような意識があれば、それは被告人が実家へ戻り始めた段階で既に念頭に上っていたはずであり、その後、実家に着くまでに約一時間を要したというのであるから、その間に、実家へ戻ることを断念するなどの考えがなぜ思い浮かばなかったのであろうか。実家を目の前にして気持が変わるということがあり得るとしても、いささか不自然の感を免れない。

(二) 男と出会った時間等

被害者の死亡推定時刻は、前記第四の三の1において検討したとおりであるところ、右の時刻が後にずれ込む余地のあることを考慮しても、なお被告人が被害者宅前で男と出会ったと供述する午前三時過ぎころまでの間に相当の時間の経過があることになる。犯人と目される男が犯行後そのように長時間現場に留まっていたということは不自然ではなかろうか。被告人は「華」を出た後、新鹿沼駅付近で約一時間半位休んだと供述するが、いかに気分が悪く、また雨が降っていたにせよ、深夜しかも外で一か所に滞留する時間としては、長過ぎはしないだろうか。すなわち、被告人は、その供述するより、もっと早い時間に被害者宅付近に赴いたのではないか、との疑問が残る。

また、そもそも、そのような男と出会ったということ自体、全くあり得ないことではないにしても、あまりにも偶然性の要素が強すぎるのではなかろうか。

(三) 捕えた男を連れて何も声を掛けずに被害者宅へ入ったこと

被告人は、男の言動から被害者宅で犯罪とおぼしき事が行なわれたことは推測できたにせよ、被害者が殺害されたことまでは知り得なかったのであるから、当然被害者が右居宅内にいるのではないかと考えるはずであり、そこへ立ち入ろうとするのであれば、深夜でもあり、屋内に向かって何か声を掛けるのが通常であると思われる。それにもかかわらず、被告人は、被害者宅へ入る際男に向かって「入れよ。」と言ったと述べるに過ぎない。

(四) 電話線の切断

被告人が、男が被害者宅に放火しようとするのを見て、これをやめさせようと考えたとの点は理解し得るとしても、そのために被害者宅の電話線を切断するというような、冷静に考えればその手段としては有効とも思われないことをとっさに思いつくものであろうか。甚だ疑問といわなければならない。しかも、必ずしも明瞭ではないが、被告人は内心では同時に電話線を切ればその発信音の変化により事件が早く発覚するということも考えた旨供述するのであるが、併せてそのようなことをとっさに考えるというのは、なおさら不自然といわなければならない。そして、直ちにこれを実行したとの点も首肯し難い。けだし、被告人が電話線を切断した場所は四畳半間の長押の上という一見分りにくい所であるうえ、同間は、そのとき豆電球の明かりのみで室内の状況を十分把握できる状態ではなかったはずであり、たとえ被告人には電工として電話線の配線工事等に携わった経験があるにせよ、とっさにこのような場所で電話線を切断することは困難であるといわざるを得ないからである。

(五) 包丁

電話線を切断するのに使用した包丁があった場所につき、被告人は、当初、台所にあったかの如く供述していた(第二五回公判)が、後にこたつの上にあったと供述するに至った(第二六回公判)。これは被告人の単なる言い間違いかあるいは記憶違いによるものであろうか。被告人がこの点につき特段の説明をしないのはやや疑問が残るところである。

また、被告人は、こたつの上の包丁(変更後の供述では)で電話線を切断した後、たまたま台所の流しの下の戸棚が少し開いていてその中に数本の包丁があるのを見て、そこに右包丁を「戻した」あるいは「返した」と供述する。しかし、被告人はそもそも右包丁が被害者宅の包丁であるか否かは知り得なかったはずであり、また、包丁を右戸棚に戻しておく必要性も特に見出せず、これらのことを考えると、被告人の右行動は理解し難いといわざるを得ない。むしろ、実際は、自分で右戸棚内から包丁を取り出していたので、思わず右のように答えてしまったのではないかとの疑念さえ生じるのである。

(六) 被告人が本件を全く警察に通報しなかったこと

被告人は、この点につき、以前から警察官に強い不信ないしは憎悪の念を抱いており、警察とは一切関わり合いになりたくなかったからである、と供述する。しかし、仮にそうであるとしても、本件は被告人の実家の近所で起きた殺人事件という重大事件であり、しかも、被告人は被害者とは顔見知りであったのであるから、少なくとも警察ないしは近隣の者に通報する程度のことを行うのが通常ではなかろうか。殊に、被告人は、男を追いかけ、自ら負傷するほどの格闘をした末に男をつかまえて被害者宅に引き連れ、被害者の状況を確認したというのであって、犯罪者とおぼしき者にこれほど積極的な行動に出た被告人が警察等への通報に及ばなかったというのは、なおさら奇異の感が深いといわなければならない。

更に、被告人が男から財布を受け取ったことなどは、もしそれが真実であるとすれば後に発覚した場合(被告人は、男は間もなく逮捕されると思った旨供述する。)、警察から本件の犯人として厳しく追及される材料にもなりかねない事柄であって、警察と関わり合いになりたくなかったとする被告人の供述と矛盾する行動といわざるを得ない。

また、新鹿沼駅に到着し、男に財布を返そうとしたが受け取ってくれなかったとの供述についても、仮に、それ以前に被告人がその男に警察に通報しないと言っていたにせよ、右のような場所で、重大事件の犯人である男と、このようないわばのんびりとした応待をするなど、理解し難いところである。

(七) 被害者の死体の状態

被告人は、被害者の死体を発見した際、死体の両足は縛られていなかった旨断言する。しかし、本件発覚時、被害者の両足が電気スタンドのコードで縛られていたことは明らかであり(6・10実)、被告人の供述を前提にしても、被告人が被害者の死体を見た後に、男を含めて誰かがすでに死亡してしまっている被害者の両足を縛るということはおよそ考えられず、この点被告人の供述は客観的証拠と符合しない。

(八) 湯飲み茶碗

被告人は、四畳半間のこたつの上に二個の湯飲み茶碗があり、そのうちの一個を口をゆすぐために使用した後、台所の流しの中に置いた旨供述するところ、6・10実によれば、確かに、四畳半間のこたつの上には湯飲みが一個あるが、台所の流しの中にはポリ製桶一個(被告人はこれもなかった旨供述する。)があるのみで、湯飲みはないことが認められる。前同様に男を含めた誰かが湯飲みをその後に移動させたとは考えにくく、やはり被告人の供述は客観的証拠と符合しないきらいがある。

(九) 公判廷での弁解と手紙の内容との食い違い

前示のとおり、この両者の内容はほぼ同一であるが(公判廷の供述の方が詳細である。)、被告人は、右手紙の中では、男が捨てたがま口を拾う際に血のついた軍手も一緒に拾った旨述べているにもかかわらず、公判廷での供述においては一切このことには触れておらず、なぜ手紙の中で右のようなことを書いたかの説明もない。血のついた軍手であるならば、被害者の殺害の際に使用されたとの推測が可能であり、したがって、本来、本件犯行に関するきわめて重要な事情の一つであるというべく、そこに、右のような明らかな食い違いが存すること自体、被告人の弁解全体の信用性に影響を及ぼしかねない事柄というべきである。

3  弁解内容の信用性及びその反面としての有罪認定の可否

以上のとおり、本件犯行現場等における自己の行動、とりもなおさず、真犯人と目される男の存在ないしは同人との関わりについて触れる被告人の供述は、その内容に疑問点が多いうえ、被告人は、自己の供述の疑問点を追及され問い質されると、検察官更には裁判所に対する不信感を強調するなどして答えをはぐらかしたり、あるいは居丈高になるなど不自然な供述態度に陥ることがしばしばであったことなどを併せ考えると、右供述の信用性にもまた相当の疑いを差しはさまざるを得ないのである。

そうすると、検察官主張の犯行時間帯については先に検討したアリバイの存在によって被告人と犯行との結びつきを肯定することができないものの、それ以降の時間帯すなわち、被告人が「華」を出てから後において、本件犯行に深く関わったのではなかろうかとの疑いが大きく浮び上がってくるのである(死亡推定時刻との関係で不可能ではないことは、先に検討したとおりである。)。

しかしながら、被告人を真犯人であると断定して有罪の認定をするにあたっては、次のような支障となるべき諸事情が存在するのである。

まず、被告人が被害者宅に赴いたと想定される時間帯を基準とすると、被告人は、被害者がおそらく就寝中に被害者宅にいわば押し入って本件犯行に及んだと考えざるを得ないが、そうすると、検察官の訴因及び冒頭陳述における主張内容を更に上回るような凶悪事犯ということになる。被告人にこのような凶悪事犯を被害者宅で敢えて行なうほどの動機が存在したといえるであろうか。被告人がその自白中において供述する動機に対するよりも一層大きな疑問を持たざるを得ず、先に検討したように、「華」での飲酒及びその代金の支払状況などからして被告人が被害者宅へ赴く際ある程度の所持金を有していた可能性が十分あるだけに、なおさら疑問の感が深い。なお、被告人が当初、窃盗ないしは強盗とは全く異なる動機、目的で被害者宅へ押し入ったということも一応考えてみる必要があるけれども、このような異質の動機、目的の存在を推測させるだけの証拠は当公判廷にあらわれていないといわなければならない。

また、被告人が右のとおり被害者の就寝中に被害者宅に押し入ったとすると、その侵入口、侵入方法が問題となるが、被害者が独り暮らしの女性であり、しかも、日頃から不審者が庭先等にあらわれるのを相当に気にかけ、本件の少し前に施錠設備を頑丈ににしたほどであったこと(証人猪瀬隆、同渡辺利一の当公判廷における各供述、同人らの員等)などからすると、被害者が五月三〇日の夜独りでおりながら玄関の施錠をしないままであったものとは考えにくく、そうかといって、証拠上、他の場所から何物かが被害者宅に侵入した形跡はうかがわれず、この点も大いに疑問の残るところである。

更に、被害者宅へ侵入後、殺害及び逃走に至るまでの経緯を認めるに足りる証拠がないことになる。捜査段階における自白による午後八時ころの侵入から午後一一時三〇分ころまでに至る物色、待機、押入れ内での隠れ、その間の被害者の動静、被害者による発見等の経緯は、その時間帯のアリバイの成立により崩れたのであり、それにかわる侵入後の経緯が証拠上空白であるといわざるを得ない。

以上のほか、がま口や足跡痕に関する事実からたやすく被告人が本件強盗殺人等の真犯人であるとは断じ得ないことは前記第二で検討したとおりである。

そうすると、結局、被告人が「華」を出てから被害者宅に赴き本件強盗殺人等の犯行に及んだものと断定して、訴因変更手続を経たうえ有罪の認定をすることはとうていできないものといわざるを得ないし、また、本件の審理経過や事案の性質等に鑑みると、今後、新たに右に指摘したような諸点についての証拠を発見、収集することは著しく困難であるといわざるを得ない。

第六本件発生後の被告人の行動

被告人は、五月三一日早朝、東武線で浅草に出た後、逮捕される九月二一日までの間、いずれも日比谷公園で声をかけられた男の紹介で、六月九日ころから七月一三日ころまでは都内世田谷区の洋知工務店に、七月一七日から九月一一日ころまでは都内国分寺市の水道配管業橋本正男方にいずれも住み込みで土工として勤務し、右以外の期間は職に就かず、都内日比谷公園等で野宿生活を送っていたものである。この事実は、被告人の当公判廷における供述及び関係各証拠によって認めることができ、被告人の自白調書によっても同旨であって、特段争いのない事実である。

そこで、被告人の右行動が、被告人が本件犯行の真犯人であることを推認させるべきものであるか否かを検討する。

被告人は、従来、一貫して電工として働いてきたものであって、電工としての腕も良いにもかかわらず、本件後は、収入の少ない土工として働き、その勤務先も、場当たり的に決めては短期間のうちにこれを変え、その間公園で野宿生活を送るなど、従前とはその生活振りに相当の変化をきたしていたものというべく、そこから、被告人が捜査機関の追及を逃れようとしていたのではないか、との疑いも生ずるところである。

しかしながら、被告人は、土工として働く際いずれも本名を名乗っていること、逮捕されるまでの間、本件との密接な関連性を疑わしむべきパンタロンシューズを所持し続けていたことなどの事情もあり、その他、野宿生活を送っているとき何回か職務質問を受けたがいずれも本名を名乗った旨供述していること、被告人の生育歴、性格等を併せ考えると、右のような被告人の本件発生後の行動からたやすく被告人と本件犯行との結びつきを認めることはできないというべきである。

なお、被告人は、六月五日ころ、被告人の妹で千葉県松戸市に住むF子方を訪れているが、右訪問の意図やその際の被告人の言動についてはその評価が別れ得るところであって、これをたやすく被告人と本件犯行とを結び付ける有力な事情とすることはできない。

第七その他の証拠上の問題点

ここでは、本件事案の解明につきいかなる意味を持つかはともかくとして、証拠上の問題点と考えられる点を指摘しておく。

本件発覚時、被害者宅四畳半間のこたつの上には、急須及び湯飲み各一個が残されていた(6・10実)。他方、被害者の友人渡辺利一は、五月三〇日午後六時三〇分ころ被害者宅を訪れたところ茶を入れてくれたが、その際使用された急須は、いわゆる万古焼のものであって、右残された急須とは違う旨供述する(同人の当公判廷における供述及び同人の検、員)。右供述に従えば、残された急須及び湯飲みは、右渡辺が帰った後に使用されたものということになる。右湯飲みは、発覚の時点では一個であるから(6・10実)、被害者が自分で茶を飲んだことも考えられるが、一方、被害者が近所から帰宅した午後九時ころ以降に、ある程度面識のある第三者の訪問があった可能性も否定できない。

被害者は、事件当日の午後六時三〇分ころから七時前ころまでの間、渡辺利一の訪問を受けている時に、何者かから、内容の詳細は分からないが「男会に入らないか。」との不気味な電話を受け、そのような電話があったこと及びそれによる不安な気持を、右渡辺をはじめ、その後旅行のみやげを配ってまわった先の近所の人達に話している(渡辺の当公判廷における供述、同人の員、検、小太刀マツ員、山田まつ54・6・4員、吉川福治郎検)。

第八結論

本件には、がま口や足跡痕という被告人と本件犯行とを結びつける有力な物的証拠等が存在し、かつ被告人の自白も存在する。しかし、被告人の自白については、その信用性を裏付けるが如き事情もあるが、他方、その内容において不自然、不合理な点や客観的証拠と符合しない部分等が多く認められ、結局その信用性には疑いを差しはさまざるを得ない。また、右の物的証拠等や本件発生後の被告人の行動等も、右自白を離れて被告人が本件犯行の真犯人であることを証明するほどのものとは認められない。そのうえ、検察官の訴因を前提とすると、被告人にはアリバイが成立すると認めざるを得ない。

これらの諸点を総合すれば、被告人を本件の真犯人とするについてはなお合理的な疑いを入れる余地があるといわなければならない。

もっとも、他方、被告人の当公判廷における供述については、重要な部分においてやはり不自然、不合理な点等があるところ、被告人がなぜこのような不合理、不自然な供述をするのか、その理由を推し測るとき、被告人が、アリバイ成立後の時点(「華」を出た後の時点)において本件犯行に深く関わったのではないかとの疑いもまたこれを払拭することができないところであり、当裁判所の心証は、まさに混沌としているといわざるを得ない。しかしながら、先に検討したように、右の疑いを更に深め、被告人が本件の真犯人であると断定するにはなおその証明が十分ではなく、また、本件の審理経過、事案の性質等に鑑みると、これ以上審理を尽くしても、その点を裏付けるべき新たな証拠を見出すことは著しく困難であると考える。

本件は、強盗殺人等というきわめて重大な事案であり、被害者並びに遺族の心情、その社会的影響等を思うとき、真犯人でありながら処罰を免れる者が出るという事態が生ずることは避けられなければならず、他方、「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判の鉄則もまたゆるがせにできない。かかる観点から、本件にあらわれた全証拠を虚心に検討した結果、結局、本件につき有罪の認定をすることができないとの結論に到達せざるを得ないのである(なお、被告人が本件そのものの真犯人であると断定し得ないとしても、被告人が、被害者が殺害された後に被害者宅において住居侵入等を犯したのではないかとの疑いが残る。しかし、それと本件との間に公訴事実の同一性があるとしても、本件訴因とは、その時期、態様等を大きく異にし、有罪認定には訴因の変更手続を要するものと解されるところ、そもそも、侵入の動機、目的、時期、態様等を証拠上確定し得るとはいえないし、本件の審理経過等に鑑みると、当裁判所に、右訴因の変更を促し、あるいは、これを命ずべき義務まではないことが明らかである。)。

以上のとおり、本件公訴事実はこれを認めるに足りる証拠が十分ではなく、結局、被告事件について犯罪の証明がないことに帰するので、刑訴法三三六条により被告人に対し無罪の言渡しをする。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 森眞樹 裁判官 畑中英明 松原正明)

<以下省略>

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